日和佐八幡神社の秋祭りとちょうさ(布団太鼓)
徳島県美波町の日和佐八幡神社では、毎年秋に、布団太鼓「ちょうさ」が町を練り歩き、神社横の大浜海岸で海に入ります。このページでは、2013〜2018年に当サイトで書きためた記事をもとに、祭りとちょうさのあらましをまとめました。日程など最新の情報は、日和佐八幡神社のサイトでご確認ください。
- 祭り
- 日和佐八幡神社秋祭り(例大祭)
- 場所
- 日和佐八幡神社と大浜海岸(徳島県海部郡美波町日和佐浦369)。会場案内
- 時期
- 10月上旬〜中旬の2日間(記事にある年はすべてこの時期。その年の日程は神社のサイトで)
- 出るもの
- 八つの町のちょうさ(布団太鼓)。寺込の堺型だんじりは、今は運行していません
- 見どころ
- 布団太鼓が海に入ること。打ち子の太鼓と掛け声、担ぎ上げる「差し上げ」
ちょうさとは
ちょうさは、赤や白の布団を五枚重ねた屋台に太鼓を積み、子どもの打ち子が叩きながら、大勢で担いで練る太鼓台です。大阪や堺で「布団太鼓」と呼ばれるものと同じ仲間で、当サイトの作者は、日和佐のちょうさは堺から直接伝わった布団太鼓だと考えています(広義のちょうさで説明可能か?)。
日和佐のちょうさは、すべてトンボ(布団の上の飾り)が下や横を向く「雌太(めんた)」です。それでいて、屋台の下の土呂幕(どろまく)がなく、彫刻も控えめな、すっきりした形をしています。作者は、海に入ることを前提に作られているからだと見ています(ちょうさは男か女か?、それっぽい?という認識のズレ)。
「ちょうさ」という名前は、大坂で山車を曳くときの掛け声「ちょうさや、ようさや」から来たという説が有力です(ちょうさの語源は、やはり掛け声?)。
祭りの流れ
- 一宮 祭りのおよそ一週間前から。各町が太鼓納屋でちょうさを組み立て、太鼓の練習を始め、当屋の前に幟を立てます(一宮、はじまりました!)。
- 宵宮(1日目) ちょうさに車輪を付けて、それぞれの町を回る「町廻り」。神社に戻ると、境内でお練りをします(宵宮・町廻り(H30))。
- 本祭(2日目) 決まった順番で各町のちょうさが練り、神輿とともに、御旅所のある大浜海岸へ。ちょうさが海に入るのは、神輿が海で禊(みそぎ)をしていたのを、ちょうさが真似たのが始まりと言われています(ストイックな時代)。
担ぎ手の動きを決めるのは拍子木です。拍子木の合図で打ち子が太鼓を叩き、担ぎ手が動きます。多くの布団太鼓が四拍子で足並みをそろえるのに対して、日和佐は二拍子で「好き勝手」に担ぐのが特徴です(広義のちょうさで説明可能か?)。
一番太鼓と順番
練る順番は、八つの町が「戎町 → 東町 → 西新町 → 本町 → 桜町 → 中村町 → 戎濱 → 奥河町」の順に並び、毎年一つずつずれていきます。その年の先頭が「一番太鼓」で、八年で一巡します(2013〜2018年の記事にある運行順から整理したもの。日和佐八幡神社・秋祭り(H30) ほか)。
町ごとのちょうさ
- 戎町寛政7年(1795)から奉納と伝わる。網掛けのトンボと布団締め
- 東町日和佐でも古いとされる屋台。大海原の波の彫刻
- 西新町黒檀で重く作り替えた二代目。白い布団と黒い房
- 本町天保9年(1838)の記録。全国でも珍しい白黒の布団
- 桜町享和4年(1804)製の初代西新町の屋台を受け継ぐ
- 中村町天保8年(1837)製の堺型。宇摩型のトンボ
- 戎濱日和佐で唯一の淡路型。雨でも晴れでも白い傘
- 奥河町日和佐で唯一の赤い布団。全面に唐獅子牡丹
- 寺込(だんじり)堺彫又の作と伝わる堺型だんじり。大正6年に日和佐へ
掛け声
叩き始めは「ヤーレン ヤーレン イッサンジャイ」、叩き終わりは「エンエンエン」。ちょうさを高く担ぎ上げる差し上げでは「サーセー サーセー」と声をかけます(差し上げの掛け声は何がいいか?)。
もっと知る
このページは、当サイトの2013〜2018年の記事をもとにまとめたもので、祭りの公式の情報ではありません。年代や由来には伝承や作者の推測も含まれます。