谷屋調査報告会に行ってきた
8月6日、日和佐公民館で開催された「谷屋調査報告会」に行ってきました。 これを書いている人は、ちょっと辛口なので正直な感想を書きますと、どれも ネットで引ける 内容ばかりで、谷家の構造など新鮮味はどこにもなかった。 また、所有していた絵や器
戎濱(恵比須浜)のちょうさは、日和佐で唯一の「淡路型」。布団の下に「タガヤ」があり、布団枠が一体なので組み立てがいりません(【情報求む!】戎濱(恵比須浜)のちょうさ)。
初代のちょうさは昭和40年代の火災で失われ(戎濱のこと〜初代・カラフル・現在〜)、今の淡路型にモデルチェンジしました。初代の前面の彫刻はえべっさんだったと伝わります(モデルチェンジした戎濱ちょうさ)。戎濱は江戸後期にできた集落で、参入順だった時代は、境内に納屋を持たなかったため、いつも最後に練っていたそうです。
写真や最新の情報は、日和佐八幡神社のサイトの戎濱のページへ。
8月6日、日和佐公民館で開催された「谷屋調査報告会」に行ってきました。 これを書いている人は、ちょっと辛口なので正直な感想を書きますと、どれも ネットで引ける 内容ばかりで、谷家の構造など新鮮味はどこにもなかった。 また、所有していた絵や器
突然ですが、こちらは現在の戎濱のちょうさ。 そんでもって、こちらが約70年ほど前に撮影された初代・戎濱のちょうさになります。
マンガ 公開 しました〜。 人生いろいろ、帽子もいろいろ?触れるな危険だ戎濱!
キャラクター設定 ・リニューアルしました〜。
かしらかしらご存知かしら。 昔の奥河町の天幕は、白かったんですわよ( >д<)、;'.・ ィクシッ 他の町も、旗が若干違いますよね。 中村町のTさんいわく、 旗は大昔から掲げていたのではなく戦時中の国威発揚の名残かもしれない とのことでした
マンガ公開 しました〜。 今回は、奥河町と戎濱のお話しです。 赤がデファクトスタンダードだと言い切る奥河町。 それもそうです。 布団太鼓は本来、農村系のお祭りで、米の奉納に赤の幕と白の水引をつけていたそうですから、赤が元祖なんです。 そんな
美波町観光協会の「かめたろうTV」を見ていたら、ふと目に止まった初代・戎濱のちょうさ。 初代の写真は何度か見たことがあったのですが、 トンボの部分 にご注目。 「トンボの先が上を向いとるー!?」 ということは、当時の戎濱は 雄 の“ちょうさ
先日ブログで、日和佐八幡神社のちょうさをみて、伝統が失われつつあるという旨の指摘をされている方がいた。 興味深いのでふむふむと読んでみると……、おそらく八幡神社のHPで 入母屋付きの西新町 のちょうさを見た後、戎濱のちょうさに名残を見出し、
本日は、中村町のT様から貴重な資料を送っていただきました! その中の写真に、ぜひとも見てみたかった 初代・戎濱 と かの有名な新調まもないカラフルな布団 の写真まで!! 掲載許可をとってないので写真は載せず。ご了承くださいm(__)m いや
先日、奥河町のW氏と話し込んでいたら、なぜに中村町の「紋」が“ 二つ巴 ”なのか?という話になりました。 普通たいてい、八幡神社の祭りだから“ 左三つ巴 ”の紋が入っているはずなのに、二つとはどういうことだ!? 紋の由来は比較的簡単に検索で
忙しい 気がするだけの 師走かな 周りはせわしなく振舞っているのに、そうでもないかなぁ?と密かに疑問に思って、忙しいフリをしている皆さま、こんにちわ。 本日は、情報提供者を探しての投稿になります。 何を知りたいのかといいますと、日和佐・ 戎