彫刻を見てみよう(中村町)
日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第六弾。 今回は、平成最後にして一番太鼓の「中村町」であります。 まずはじめに、基本スペック。 天保8年(1837)製の堺型。ぱっと見、日和佐のちょうさっぽく
日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第六弾。 今回は、平成最後にして一番太鼓の「中村町」であります。 まずはじめに、基本スペック。 天保8年(1837)製の堺型。ぱっと見、日和佐のちょうさっぽく
しばらく更新をサボっていたら、はや年も迫ってきました。 先日、奥河町のW氏のおじいさんが撮影したという懐かしい写真を提供いただきました。どうもありがとうございます! 今回は、その中から珍しいものをペタリ。白黒なので、けっこう古い写真ですな☆
先日、日和佐八幡神社のFacebookに、祭りの掛け声について書かれていました。 それには、差し上げを意味する「 サーセー サーセー 」が、近年は「 ヤーレー サーセー 」になっているのはけしからんとのことで、町外の人に間違って伝わっている
● ダウンロードはこちら[ PDF:691KB] 今回は、ちょうさ組立のお話し。 普通たいてい、ちょうさの組立は、こんな風に八幡神社の太鼓納屋で行うのが一般的です。 こちらは、桜町・・・じゃなかった、奥河町です。布団の枠は白いんです∠( ゚
● ダウンロードはこちら[ PDF:673KB] てなわけで、今回は、 桜町 ・ 西新町 ・ 寺込 のお話し。 元ネタ、わかるかな(;・∀・)? 桜町と西新町が姉妹関係にあるのは、日和佐の方なら周知のことだと思います。しかし、それ以前のこと
日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第五弾。 今回は、一風変わった「本町」であります。 何が変わっているかと言いますと、全国でも例のない冠婚葬祭ゼブラープリズン?な 白黒の布団 や、“願いのミッ
戦後70年のおり、「ナチ」などという言葉を書くと、左巻きの人たちは、アレルギー反応をおこして発狂していることと思いますが、暑中いかがお過ごしでしょうか(^o^) けれども、本来のナチとは、「nation(民族)」の語源たる「ナツィオ=生誕の
しばらくサボっておりましたが――、 日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第四弾。 今回は、我が道を行く「奥河町」であります。 この町は、嘉永四年(1851年)の衣装箱が残っている(←見たことはな
戎町ちょうさ様、220歳のお誕生日おめでとうございますヽ(*´∀`)ノ♪ 寛政7年(1795年)から奉納しているなんて、超絶ビックリであります。 近頃は、地方創生などというちっとも心に響かない言葉が標語のように飛びかっておりますが、田舎は決
突然ですが、こちらは現在の戎濱のちょうさ。 そんでもって、こちらが約70年ほど前に撮影された初代・戎濱のちょうさになります。
日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第三弾。 今回は、「西新町」であります。 西新町は、現在の桜町の屋台から“暴れ対策”として重く作り替えられました。素材は黒檀で、よく戎町と一位二位を争う重さで
年の瀬も迫っておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 前回・東町からはじめました、彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第二弾。 今回は、「桜町」であります。
秋祭りが終わって、みなさま燃え尽き、熱気はトーンダウンしたころかと思いますが、このブログは飽きもせずにやっております(汗 今回は、彫刻について。 いつだったか、奥河町の全面・唐獅子牡丹について書いたら、ちょっとだけ反響がありまして、もう全町
先日、娘さんが日和佐の秋祭りの応援隊?に参加予定だという某方から祭りに関して「注意することはないか?」と訊かれた。 このサイトの作者は、日和佐の秋祭りに直接かかわっていないし、まして日和佐に住んでもいない。 だから、そんなこと訊かれても・・
かしらかしらご存知かしら。 昔の奥河町の天幕は、白かったんですわよ( >д<)、;'.・ ィクシッ 他の町も、旗が若干違いますよね。 中村町のTさんいわく、 旗は大昔から掲げていたのではなく戦時中の国威発揚の名残かもしれない とのことでした
徳島大学総合学科の学生さんが、2012年の卒業論文に日和佐の秋祭りを取り上げていたので読んでみた。 一見、当たり前のことのように思えましたが、こうやって知識体系化されたものはなかったので、大変興味深いものでありましたm(__)m この記述と
太鼓台は宇宙山。 などと壮大なことを 神戸芸術工科大学(アジアン・デザイン研究所) の論文にかかれているという紹介をうけて、ちょっくら読んでみましたよ。 すみませんm(__)m 感想は、(´ヘ`;)ウーム…といった具合で、調べすぎて恐ろしく
ずっと調べておりました“ 寺込のだんじり唄 ”。 寺込の人に訊いても「知らん」「知らん!」とけっこうお手上げ状態だったのですが、役場の事業で作られたというビデオに記録されておりました(^O^) 意外とあっさりな感じであります。案外、取りこぼ
お久しぶりです。こんにちは。 この文はメモ書き程度のものなので、あまり真に受けないでお読み下さい。 いま、中村町の紋「 二つ巴 」の意味を調べていて、 太鼓の位置関係 ではなかろうかとか、いろいろと勝手な想像を巡らして遊んでいるわけでありま
いつも思っていることなのですが、日和佐のちょうさ(布団太鼓)は、あまりにも全国の布団太鼓とことごとく違う感じがしております。 かき棒の組み方にはじまり、拍子の取り方、台座の低さ、全町違うカラフルな布団などなど、大阪とも堺とも違うその構造的な
毎度ながら書いているのですが、おもしろいもので、日和佐のちょうさ(布団太鼓)は“ 大阪型 ”と“ 堺型 ”が混じったような形態をしております。 明確に「 型 」を断定することはできないのですが、その特徴から 限りなく大阪型 であるとか、 限
お祭り擬人化をノリではじめて、はや三ヶ月余りが過ぎました。 当初は、ちょうさを萌えキャラにしたら怒られるのではないか?とか思ってやっておりましたが、おおむね好意的に見ていただいており感謝感激雨あられ(古)であります。 中には、 ガチ祭りに萌
先日、T様にいただいた『 中村町太鼓年表 』の昭和25年の欄に興味深いことがありました。 そこには、 「調双」と書いて“ちょうさ? ”と呼んだ記載があった、という記載なのですが、これはもしや「ちょうさ語源説」の新たな手がかりでしょうか?!
先日ブログで、日和佐八幡神社のちょうさをみて、伝統が失われつつあるという旨の指摘をされている方がいた。 興味深いのでふむふむと読んでみると……、おそらく八幡神社のHPで 入母屋付きの西新町 のちょうさを見た後、戎濱のちょうさに名残を見出し、
本日は、中村町のT様から貴重な資料を送っていただきました! その中の写真に、ぜひとも見てみたかった 初代・戎濱 と かの有名な新調まもないカラフルな布団 の写真まで!! 掲載許可をとってないので写真は載せず。ご了承くださいm(__)m いや
先日、奥河町のW氏と話し込んでいたら、なぜに中村町の「紋」が“ 二つ巴 ”なのか?という話になりました。 普通たいてい、八幡神社の祭りだから“ 左三つ巴 ”の紋が入っているはずなのに、二つとはどういうことだ!? 紋の由来は比較的簡単に検索で
忙しい 気がするだけの 師走かな 周りはせわしなく振舞っているのに、そうでもないかなぁ?と密かに疑問に思って、忙しいフリをしている皆さま、こんにちわ。 本日は、情報提供者を探しての投稿になります。 何を知りたいのかといいますと、日和佐・ 戎