新着情報

キャラクター擬人化の情報を不定期にお届けします。

太鼓を買った(桜町)

project_extra_6.png

ダウンロードはこちら[ PDF:749KB ]

 

 桜町、太鼓新調!

 秋まで叩けば、今年からデビューできるはず!?

2015/04/09 リリース   admin

ちょうさ写真展2015(アスティとくしま)

 アスティとくしまで展示中のちょうさ写真展に行ってきました。

 ビデオが流れておりました。

 

 おわり。

 

asty_tokushima_2015.jpg

≫ 続きを読む

2015/04/04   admin

モデルチェンジした戎濱ちょうさ

 突然ですが、こちらは現在の戎濱のちょうさ。

 

ebisuhama_sample_2014.jpg

 

 そんでもって、こちらが約70年ほど前に撮影された初代・戎濱のちょうさになります。

 

ebisuhama_syodai.jpg

 

 戎濱が火事によってちょうさを新調したことは、みなさま、周知のことと思います。
 ただ、作りなおしたということは、原型となるモデルを引き継いだのか、はたまたモデルチェンジしたのか?という素朴な疑問がありました。

 

 初代・戎濱が写った写真は何枚も目にしましたが、どれも遠巻きに収められていて何がなんだかわからずじまい(-_-;)

 そんなおり、博物館行きとなっていたTさんの写真をいただくことができ、モデルが判明したというわけです。

 

ebisuhama_kumoita.jpg

 

 改めて写真をご覧ください。
 現在のものよりも大きく、周囲の大人と比較しても、東町程度の規模であったことがわかります。

 これは、いわゆる「大阪型」といわれる古いモデルのように思われ、フレームは奥河町とそっくりであります。
 そして、雲板の天井は、現在の桜町のように格天井となっており、戎濱は、

 

 「大阪型」から「淡路型」へモデルチェンジしたことになります。

 

 肝心の彫刻部分は写っておりませんが、当時のことを知る方の話では、前面には戎濱ということでえべっさんが彫られていたとのこと。
 他の方は、桃太郎や金太郎が彫られていたとおっしゃっておりますが、鯛と竿も持っていたとのことなので、えべっさんでまず間違いないと思います。

 

 ただこれは、前面の彫刻なので、他の面には、桃太郎や金太郎が彫られていたのかもしれません。
 総じて「可愛らしい感じ」だったそうなので、真に受けて想像しますと、東町や当時の西新町(桜町)の彫刻のように太平楽な時代を引きずった雰囲気だったのかもしれません。
 また、戎濱という集落が江戸後期に出来、早くから日和佐に溶けこむために祭りに関わっていたという話を勘案すると、少なくとも東町〜西新町あたりが奉納を始めた時代には、戎濱のちょうさも存在していた可能性があります。
(中村町が奉納を始めた頃には、今のように輪番ではなく参入順だったそうですが、戎濱は境内に納屋を持っていなかったため、いつも最後だったようです)

 

 これは、別の機会に詳しく書きたいと思いますが、この写真は、足回りが現在のものよりも高いように見えます。
 昔から海に入らなかった戎濱の性格を考えると、現在とは違って土呂幕があり、大阪の太鼓のように足が長かったのではないかと推測できます(^^ゞ


 それはそうと、こちらは同時期に撮影された戦時中の八幡神社境内の写真であります。

 

keidai_70.jpg


 宮ノ森というだけあって、海の横なのに本当に森みたいであります。
 中村町の太鼓納屋が見当たりませんが、この当時は現在の戎濱辺りにあったのだそう。

 

 日章旗と旭日旗を振る練習であります。
 後知恵の戦後民主主義に洗脳されてしまった方には異様な光景に映るかもしれませんが、別に軍国主義の暗黒時代というわけではなく、案外、子供は快活で食べ物に困ったこともないそうで、歴史に筋を通すという意味でも貴重な写真であります。

 

 ついでに書いておくと、日和佐のちょうさに旗が掲げられるようになったのは戦時中からだそうで、戎濱をのぞく他の町は日章旗と旭日旗を掲げていたそうです。
 ところが、敗戦後GHQに日章旗を掲げることを禁止され、一時の自粛の後、各町オリジナルの旗を掲げるようになっていった経緯があります。

 

 同じ戎の名をもつ戎町とて、三蔓柏を掲げるようになったのは、昭和の中頃なのだそうで、当時を知る人いわく、当時から変わらずに「三蔓柏」と「丸に違い鷹羽」を掲げていたのは戎濱だけ。別の視点で言えば、当時からイケイケドンドン鬼畜米英的に旗を掲げ続けたのは、奥河町で、実に芯の強い町であると言えるでしょう。


 初代の写真に戻ってみましょう。

 

ebisuhama_syodai.jpg

 

 よく見ると、旗の掲げ方が今とは違って、ぎこちない感じもどこかあります(汗
 おそらく、当時の気分としては、国威発揚もあったのかもしれませんが、しだい、大きく見せるための飾りへと変化していったのではないかと思われます。
 これは、本場の布団太鼓のように巨大な親房を持たないゆえの美意識なのかもしれません。

 

 長々と書き散らしてしまいましたが、いずれにせよ、当時を知る貴重な取材となりました。
 情報や資料をいただいた方々、本当にありがとうございました〜。


 記事のまとめは、そのうちマンガでやりたいと思いますm(__)m

≫ 続きを読む

2015/03/30 ちょうさのこと   admin

マンガ公開しました(第9回)

 マンガ公開しました〜。

 

 水陸両用?ホバークラフト娘は、お手入れバッチリ!

 

sample_13.jpg

 

 今回は、土呂幕(どろまく)のお話し。

 土呂幕って知っていますか?知りませんか・・・。

 詳細はマンガにて。

 

 日和佐のちょうさには、この土呂幕がなくて、うるふが各々スカートをめくって驚いているわけであります。

 表現上、パンツを履いておりますがノーパンツルツルの体でお願いします(汗

≫ 続きを読む

2015/03/25 リリース   admin

みなさまの秋祭り

 昨年の日和佐八幡神社秋祭りに参加していた、「とくしま異文化キャラバン隊」の奉告資料を見せていただきましたー。

 

 学術的な内容はありませんでしたが、若い人が田舎の祭りに興味をもてるということは、とても良いことではないでしょうか(・ω<)

 

toku_hiwasa_1.jpg

 

toku_hiwasa_2.jpg

 

 

 そうと、引率されていた先生のご親族の学生さんだったかが、卒業論文で

 

「地方祭礼維持のための祭縁の活用―日和佐八幡神社秋季例大祭を事例として―」

 

 なるものを発表されているので、こちらも気になります(^_^)v
 機会があったら、勉強させてください。


 一点だけ、ものすごーく物申したいことは、「神輿」と「依代」の区別が全然されていなくて、レポートにもちょうさのことを“神輿”と表現されていることであります。
 いつだったか、学生の卒業論文でもだんじりを神輿と書いていて、まず地域を物語る前に、神道の感覚とかカミ様を知る作業が抜けているような・・・。

 

 また、確かにちょうさは華やかで勇壮でありますが、あくまで、神輿の後をちょろちょろとついていく“おまけ”みたいなものなので、「例大祭」を「ちょうさ祭り」などと表現してしまうお偉いさんも、何かが抜け落ちているような感じであります。
 いうなれば、愛国を自称していながら、大東亜戦争を太平洋戦争と呼んでしまうかのような、そういう感覚であります(-_-)

 

 一方で、外国人などに発信する側としても、カミ様を“ゴッド”と訳してしまうことにも、ものすごーく違和感があったりします。
 “ゴッド”とは、一神教の国の一人の神という意味ですから、多神教の日本からすると誤解を与える表現で、大陸系の人には「天」という発想による無神論がベースなので、なおさら理解できないのではないでしょうか。
 やっぱり日本は八百万神の国で、数ある中のカミ様の一柱である、というふうに説明してほしいな、と、これを書いている偏屈な人は思うわけであります。

 

 いや〜、日本はホントに面白い国ですね。

 

おまけ

tokunaga_chosa.jpg

Tさんにいただいた昔(50年くらい前)の写真。

戎町の前でパシャリ!!今と少しも変わらず。

ちょうさの前では、人の一生などはかないものです。

≫ 続きを読む

2015/03/08   admin

マンガ公開しました(第8回)

 マンガ公開しました〜。

 

 人生いろいろ、帽子もいろいろ?触れるな危険だ戎濱!

 

sample_12.jpg

 

 今回は、戎濱の傘のお話し。

 

 西新町と桜町がかつて「入母屋(いりもや)」という屋根を被っていたことを知る愛好家は、戎濱こそが昔ながらの伝統を引き継いでいる唯一の町だ!

 と喜んでおられますが、実際は、前日搬入の名残だそう・・・。

 や〜ねぇ〜(´・ω・`)

 

 ちなみに、西新町はただでさえ重たいからやめました。それ見た桜町も、お姉ちゃんに習ってやめましたとさ。

 

 めでたしめでたしm(__)m

≫ 続きを読む

2015/02/16 リリース   admin

キャラクター設定・リニューアルしました

キャラクター設定・リニューアルしました〜。

 

character10.png

 

 なんとなく、ちょうさの高さや重さが擬人化キャラからお分かりいただけるのではないでしょうか(・ω<)

 

 そうと、お祭り擬人化を2年もやっておりますと、ひいきのキャラクターもできてくるころだと思われますので、今日は、アクセス数や閲覧時間によるむっつり人気投票結果を公開したいと思いますー。

 え?みんなお手てつないで横並びがいい?!アホか!そんな価値相対の戦後民主主義などクソ食らえじゃ(^_^メ)

 きっちり優劣をつけて、「おらが町こそナンバーワン!」的精神が祭りや共同体を熱くするのだー。

(※神輿とだんじりは比べようがないのでやりません)

 

 それでは、行ってみようー!!

 

第一位/西新町

ninki_arata.png

 

栄えある第一位は、ダントツ人気で西新町さんでしたー。

彫刻や装飾もさることながら、タカビーお姉さんの( ゚∀゚)o彡゚ オッパイ オッパイにつられましたな!!

 

第二位/戎町

ninki_ryoko.png

 

第二位は、姉御肌でみんなのリーダー戎町。

擬人化は、戎町から始まった・・・。堂々のランクインであります。

 

第三位/桜町

ninki_sakura.png

 

第三位は、西新町さんの妹・桜町でしたー。

新参者で意外や意外ではありますが、氏子人口が多いため閲覧数が多かったのかな?

 

第四位/東町

ninki_minato.png

 

第四位は、昨年の一番太鼓・東町。

祭りのムードメーカーでとっても元気。
観客を楽しい気分にさせてくれるため、町外のファンも多いです。

 

第五位/中村町

ninki_hibiki.png

 

東町と僅差で第五位となりましたのは中村町。

几帳面でとっても組織力があり、みんなの委員長的存在です。

うるふのことが大好きで、ことさら演奏が長かったり・・・。

 

第六位/奥河町

ninki_jun.png

 

第六位は、細かいことは気にしなーい!いつも我が道をいく奥河町。

米は“赤い幕”に“白い水引”を付けて奉納してたんだから、やっぱりちょうさは赤ですよね?

 

第七位/本町

ninki_machiko.png

 

第七位は、いつも担ぎ手が不足ウィンブルドン〜♪の本町。

打ち子もレンタル〜♪私はマチ子〜♪イエイイエイ〜♪

 

第八位/戎濱

ninki_yuki.png

 

第八位は、残念でした戎濱(T_T)

ちょっとアクセスが少ないぞー!氏子若連中、頑張れ!!

≫ 続きを読む

2015/01/31 リリース   admin

彫刻を見てみよう(西新町)

 日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第三弾。
 
 今回は、「西新町」であります。

 

nishi_choukoku_01.jpg

 

 西新町は、現在の桜町の屋台から“暴れ対策”として重く作り替えられました。素材は黒檀で、よく戎町と一位二位を争う重さであるといわれますが、おそらく骨格や材質上、西新町の方が重いのではないかと思われます。

 

 さすが二代目というのか、時代の雰囲気とでもいいましょうか、太平楽な時代を引きずった可愛らしいものではなく、かなり厳つくて洗練されたデザインであります。

 

 それでは詳しく見て行きましょう。

 

nishi_choukoku_02.jpg

まず正面。堂々とした竜であります。

 

nishi_choukoku_03.jpg

正面右側・東は、菊と金鶏。

 

nishi_choukoku_04.jpg

正面左側・西は、鷹と松。

 

nishi_choukoku_05.jpg

そして背面は、唐獅子二匹。


 ざっと眺めても見事な作りであります。


 木鼻こそ獏から変更されましたが、初代同様、尾垂木が突き出ていて、堺型の原型はきっちりと受け継いでおります。
 西新町最大の特徴は、丸桁(がぎょう)にも狛犬がくっついていて、その数、木鼻と合わせると16匹も睨みをきかせてガード万全!であります。

 

nishi_choukoku_08.jpg


 この丸桁には、烏帽子ひらたれを引っ掛けるという便利な役割もあります。芸の細かいことに、長押の部分には、日和佐らしく亀。

 

nishi_choukoku_06.png

 

 改めて、彫刻を眺めてみましょう。

 

 正面右側・東は長寿でも願っているのか金鶏と丸桁にはカニ


 正面左側・西は力を誇示するかのように鷹と丸桁にはトンボ

 

 背面は二匹の唐獅子がかぶりついて一塊となっており、たぶん「太極」の状態を表しているものと思われ、まじまじみると背面は唐獅子が10匹もいるという全面唐獅子の奥河町もびっくりの彫物であります(汗

 ちなみに丸桁には蝶

 

 さらに目を凝らすと、組物ひとつひとつにも細かな彫りがあって、恐るべし美意識であります。
 第一印象は最後にやってくるとは言いますが、こうしてみると、やっぱり桜町の初代と西新町の屋台は、形は違っても姉妹だなぁと思うわけです(;´Д`)

 

 彫刻に関係はないのですが余談として――、
 嘘か本当か、西新町のちょうさには天井があって、昔はオスだったのではないか?と言われておりますけれど、真相は不明。


 桜町の記録では、当時から天井もなくメスだったようなので、もしかするとデザイン変更というよりは性転換?!という疑惑もありますが、そのへんは、戎濱を取り上げる際、触れてみたいとおもいますm(__)m

 

nishi_choukoku_07.jpg

禰宜も大好き?西新町

≫ 続きを読む

2015/01/24 ちょうさのこと   admin

あけましておめでとうございます!!(2015)

 新年、あけましておめでとうございます。

 

 まさかこのサイトが二年目に突入するとは思ってもいませんでしたが、今年も、ああだこうだと日和佐のお祭りを擬人化していきたいと思っておりますので、お暇な方はどうぞ( `・∀・´)ノヨロシク

 

 今年は、西新町・一番太鼓や戎町220周年などネタに困らない年なので、たぶん何かやると思います。関係者のみなさま、怒らないでスルーしててね(汗

 あと、西新町の入母屋付きの写真をお持ちの方は、ぜひ送ってくださいm(__)m

 

 ↓は一部の方に配りました年賀状ですが、ほしい方は勝手にダウンロードください。

 

nenga2015_01.jpg

ダウンロードはこちら[ PDF:1.74M ]

 

 

 そんでもって、元旦は日和佐八幡神社横の大浜海岸で初日の出をみたり。

 あいにく、天気が悪くて拝めませんでしたが、今年の祭りは浜に降りられたらいいですね。

 

hiwasa_20150101_1.jpg

立島

 

hiwasa_20150101_2.jpg

寒いのにご苦労さん

 

hiwasa_20150101_3.jpg

登ってから朝日を見る

 

hiwasa_20150101_4.jpg

元旦に浜を歩くのも案外ぜいたくです。

 

hiwasa_20150101_5.jpg

帰りは八幡神社でお参り。

 

日和佐太鼓/全編は→こちら

≫ 続きを読む

2015/01/03   admin

彫刻を見てみよう(桜町)

 年の瀬も迫っておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 前回・東町からはじめました、彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第二弾。

 

 今回は、「桜町」であります。

 

sakura_choukoku_01.jpg

 

 と、その前にこの太鼓屋台は、もともと「西新町」のものだったので、こういうものを作った、という町の性格とか当時の雰囲気を前提に考えてみたいと思います。

 

 

sakura_choukoku_02.jpg

 

 はじめは正面。竜であります。

 

sakura_choukoku_03.jpg

 

 正面右側・東は、唐獅子。

 

sakura_choukoku_05.jpg

 

正面左側・西は、鳳凰←朱雀かも。

 

sakura_choukoku_04.jpg

 

 そして背面は、虎。

 

 

 初代・西新町のものだったということだけあり、かなり時代のついた雰囲気。全体的に彫りが可愛かったりするのは、太平楽な江戸時代の雰囲気を引きずっている証拠で、東町とどこか似ている\(^o^)/
 垂木がちょろっと飛び出した堺型の原型は、現在の西新町につながっていきます。

 

 見どころは、木鼻の獏(バク)
 たいていは狛犬なのですが、中村町の木鼻も獏だったりします。ただ、初代・西新町と中村町の制作された時代などを考えると、魔除けの他に、激動の時代へ入っていく中で平和への願いを込めていたのかもしれません。
 (獏は、鉄を食べるので平和な時代でしか生きていけないそうです)

 

sakura_choukoku_07.jpg

 

 作られた当時の町の雰囲気としては、当てずっぽうですが、旧街道沿いの宿場町的場所で住宅地でもあった、と考えると、彫られた動物たちに商売繁盛とか円満などを込めていそう。

 また、「唐獅子牡丹」と「竹に虎」という組み合わせの「安住の地」という意味や、竜と虎が対になって力の誇示をしていそうで、いかにも西新町のものだった、ような出来であります。

 

 そんなこんな屋台が桜町のもとへやってきて、大事に使われて今に至るのだと思います。

 この記事では詳細は書きませんが、西新町から桜町にやってきた当時は、布団の上に「入り母屋」を被っていたそうです。

 後から足したのか、布団台の上に黒く塗られた布団台がもうひとつあるのも特徴的だと思います。しかも、その布団台には、格子状の穴が空いていて空気抵抗ばっちりといったところでしょうか(汗

 

sakura_choukoku_06.jpg

 

 こうして見ると、実にオリジナリティーあふれる太鼓屋台であることがわかります。
 ここでいうオリジンとは戦後個人主義のいう独創性ということではなく、西から桜へという、自分のオリジン(源泉)が自分であるはずがないというわきまえをもって、手を入れ、元のベースに習っていく、そういった桜町の継承の仕方に安心感があるものであります。

 

 

いま、いいこと言ったヽ(^o^)丿

 

 

 ただ、調子にのってよけいなことを書くと、桜町の「隠し額」が隠し額として機能していないこと。新しい町なのでわかっていないのか、あえてそうしているのかは定かではないのですが、本来、これは布団締めと布団台の隙間を隠すパーツですから、布団締めの上にバッジのように付いているだけなのも面白いポイントであると思います。

 

 この屋台の後に、西新町は「どうしたんだ?!」というくらい細かな彫刻を黒檀に彫って、巨大な仏壇のような屋台を作るわけですが・・・、
 続きは次回でm(__)m

 

 それでは、良いお年を〜( >д<)、;'.・ ィクシッ

≫ 続きを読む

2014/12/28 ちょうさのこと   admin