新着情報

キャラクター擬人化の情報を不定期にお届けします。

START:DASH!?

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 新年度が始まったと思いきや、もう四月が終わりつつあって、時が経つのは早いものです。

 今年の秋祭りは、10月8日・9日やぞ(;・∀・)!早いな!

 

 本年は本町が一番太鼓です。

「人おらんけどいけるんか・・・?」

 心配ご無用。なんだかんだで、応援の割当が多すぎて担ぎ手が溢れているという変な状態なので、難なく終わることでしょう(汗)

 

 けれども、一番の年くらいは、赤法被がいない方が美しいと思っている次第でもあります。

 別に関係者とケンカするつもりはないのですが、祭りとは本来、氏子のもの(←ここ重要)でありますから、よそ者とかちょっと寄っただけの留学生などに触らせてほしくなかったりするのが本音です。年寄りが「情けないけん置いといたらいいんじゃ・・・」と嘆いたりするのもわからんでもない。

 

 祭りを続けるためにルールを変えて外の力に頼るのか、外部に頼らず祭りとして筋を通すのか、難しい時代であると思います。

 なので、県外の本町出身者や関係者は、知人を誘い合わせてもいい、ぜひとも帰ってきて、本町の祭りに参加してほしいよ( `・∀・´)ノヨロシクね☆彡

 

 まだ半年ある。いまから休みとって帰ってこーーーい!!∠( ゚д゚)/

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2016/04/24   admin

【お知らせ】日和佐八幡神社☆HP更新(H28)

 日和佐八幡神社のホームページが、平成28年度版に更新されておりますYO!

 

 八幡神社のトップページが変わると、秋祭りまで「あと半年かぁ・・・」という気分になりますね(・∀・)

 

 サボりがちだった当ブログも、ちょこちょこ更新していきますので、また懲りずに閲覧ください〜。

 新キャラでるかも?!乞うご期待。

 

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2016/04/11   admin

マンガ公開しました(第14回)

 マンガ公開しました〜。

 

 これぞ正統?赤布団!!根も葉もないが標準ぞ

 

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 今回は、日和佐では唯一の赤い布団の奥河町のお話し。

 

 関西地方の方が日和佐の祭り見物にこられて、一番親近感をおぼえるのは、奥河町のちょうさではないでしょうか\(^o^)/

 今回のテーマでは、なぜ、全国のふとん太鼓の大半は、赤が多いのかを論じておりますが、諸説の一例なので、あまり真に受けなくても結構です。

 

 ただ、ふとん太鼓は宇宙を表し、ルーツはペルシャだイランだのと説いている専門家よりは、日本的な発想でアプローチしたいと思います(・∀・)

 

 そもそもなことをいえば、文明の終着地に住む日本人の中には、大昔から陰陽五行説に由来する対比と色彩感覚が流れておりますので、紅白という配色が好んで使われているのは、ごくごく自然なことのように思います。

 

 なんだかよくわかりませんが、紅白色のものを見ると、おめでたい気分になるのだから、これぞ日本人のコモンセンスでありましょう。
 だから、米が穫れたら、豊作を祝って、日本的な感覚で飾り、奉納していたのだとすると、それがふとん太鼓に繋がっても、なんら違和感を感じないのであります。

 

 紅白のふとん太鼓は、瀬戸内海沿いの漁師町によくみられますが、それだって、日本的な色彩感覚により、白と赤を使っているにすぎないのかもしれず、そこへ財力とか美意識が混ざり込み、実際は、たいした意味など存在しないのではないかと、フィールドワークでの聞き取りからも実感するところであります。

 

 なにせ、その地域の文化的感覚によって組まれ、飾られていくわけで、例えば香川のふとん太鼓など、巨大でキラキラしている。

 すると、お隣の徳島など、“小さなショボい太鼓”であるとの烙印を押されがちですが、徳島からすると、雨乞いの道具でもあるふとん太鼓を必要以上に大きくし、デカデカと龍の刺繍を布団締めに縫い付ける香川は、よほど水に困っているのではないかと、そういう風にも見えるわけです。

 

 日和佐・戎濱が昔にやらかした“”にせよ、陰陽五行を持ち出せば、ちゃんと意味があるわけで、色の良し悪しは土着で培われた文化的感覚が決めていくのだと思います。ゆえに後、文化的違和感に茶々が飛び、スタンダールも驚きの「赤と黒」の布団に戻るわけです(汗

 

 真実は少数派に宿る、とはいうものの――、
 圧倒的に赤のふとん太鼓が多いのは事実ですので、これぞ“百一匹目のサル現象”的デファクトスタンダードであると結論づけ、マンガの解説にしたいと思います。

 

 おわり。

 

↓↓余談↓↓


 ちょうさ保存会向けに進言申し上げるならば、祭りの訴求として、奥河町のちょうさを全面に打ち出すと、他所の地域の人は親近感をもって見てくれるでしょうし、世にも珍しい白い布団の西新町や桜町も赤い地域への希少性を訴えることができるかもしれません。

 

 イチオシは、全国ホウボウ見渡して、一例も見たことがない、本町の白黒のちょうさも、レアな意味で訴求力はあるかも・・・。

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2016/03/06 リリース   admin

紀元節(2676)

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 日本国さま

 

 2676歳のお誕生日、おめでとうございますm(__)m


 これからも、いつまでも、稲穂の実る瑞穂の国は、連綿と続くことでしょう。

 

 この国は、米の作り方を広めつつ、八紘一宇の精神で平定された、世界で一番古い国。

 文明の終着地であり、世界で一番ガッツのある人たちが、作り上げた奇跡の国。

 そんな超クールな国・日本の誕生を、みんなで一緒に祝いましょう\(^o^)/

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2016/02/11   admin

【9回目】うるふ様がみてる?

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ダウンロードはこちら[ PDF:673KB]

 

 てなわけで、今回は、桜町西新町寺込のお話し。

 元ネタ、わかるかな(;・∀・)?

 

 桜町と西新町が姉妹関係にあるのは、日和佐の方なら周知のことだと思います。しかし、それ以前のことは、あまり知られていないようなので、今回は、そんな三町を取り上げてみたいと思います。

 

 昭和二十一年、西新町は、旧のちょうさの扱いに困っていました。スペアとしてとっておくべきか、いっそ処分するべきか・・・。

 そんなとき、なーんにもない新興地でちょうさも保有していなかった寺前地区が浮かびます。当時の寺前は、寺前込方。ご存知、あの大きなだんじりを、現・桜町と寺込が共同で運行していました。いや、もともと一つの町であったともいえるでしょう。

 

 そこへ、西新町から「ちょうさはいらんかね?」と言われ、「ほしい!やります!」ということで“だんじり派”“ちょうさ派”に分断、おのず町も別れて現在にいたるというわけです。

 

 翌年、「桜町太鼓規約」が制定されるとともに、西新町との繋がりを強くするため縁組なども盛んに行われたのだそう。桜町に住んでいるけれども、実家は西新町だという方もけっこういるのではないでしょうか?

 加えて、ちょうさを運行するために、習えや稼げと商売を始めだしたのも、一面の田んぼから商店街へと繋がるベースになっているようで、ちょうさ一台が日和佐の歴史に大きく関係していて興味深いことだと思います。

 

 余談ではありますが、西新町と同じ白い布団の桜町ですが、これは姉妹関係にあるからというわけではなく、参入時、布団を買うお金がなくて、木枠に白いペンキを塗っていたからだという説もあるようです。

 

 一方で、寺込のだんじりについて。

 このだんじりは、江戸末期〜明治初期大阪堺の二代目・西岡又兵衛(堺彫又)によって作られたもので、現・阿南市(那賀郡)の福井町(村)が大正初期に購入しました。

 堺の港を発ち、橘港で受け取ったという記録も残っております。

 しかし、堺型だんじりとしても大型だったため、福井村の人たちも曳くに曳けず、大正六年、日和佐の寺前にやってきたというわけであります。

 

 唐獅子牡丹のみごとな彫刻、伊勢音頭を歌いながらゆったりと練りゆくその姿は、カミの依代としての格の高さを、さぞ醸していたでありましょう。

 正確な作事は不明ですが、日和佐にやってきて、今年で99歳

 来年は100歳を迎えます!なんと現在の戎町(大正十年)のちょうさよりも年上ではないか(゚∀゚)!!

 

 全国のだんじりのたいはんは、空襲で焼かれておりますので、100年ものは、とーってもすごい奇跡であると思います。願わくば、来年のカレンダーには、しょーもないギャル神輿とか氏子ですらない子供(7歳以下)の写真などつかわずに、寺込のだんじりを入れていただきたいものであります(`・ω・´)ゞ

 

 カメコの皆さん、たのんだよ!!

 

 ちなみに、初代・戎町のちょうさは、志和岐の吉野神社で、だらーんと色キチ太鼓として頑張っておるそうで、この辺のお話しは、また今度。

 

 ひとまず、おわり。

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2016/01/18 ちょうさのこと   admin

自販機が祭り仕様

 日和佐八幡神社から大浜海岸に抜ける道にある自販機が祭り仕様になっていた!

 

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 これ、いいやーん!

 

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2016/01/10   admin

あけましておめでとうございます(H28)

 新年、あけましておめでとうございます。

 本年も、ああだこうだと日和佐のお祭りを擬人化していく所存でありますので、どうぞ懲りずに( `・∀・´)ノヨロシク

 

 毎年恒例、元旦は日和佐・大浜海岸で初日の出。

 

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 続いて、日和佐八幡神社で初詣したり、痛い絵馬を引っ掛けたり(;・∀・)

 

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 本町太鼓納屋には、正月飾り。

 

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 今年は、本町・一番太鼓桜町・参加70年などが予定されておりますね!さて、どんな驚きがあるか、今から楽しみであります。

 

 日和佐の祭りを一歩下がって見ておりますと、知識や思想などなくても、若い人たちが素朴に熱心で、古いものを残していこうという気概にいつも安心するものであります。

 祭りがなければ、「日和佐にや住まん」と若い世代は口をそろえて言います。祭りのために「住まなあかん」とも言う。つまり、祭りは定住と安定をもたらすということ。これは、なかなか素晴らしい。

 こういう、緩やかながら強固な地域の文化の継承が、安易な中間共同体の破壊とグローバル化を防ぐ防波堤のようで、そういうところが好きなのです。

 

 グローバル化は、悲しきかな歴史の必然でありますが、自分で考えることもせず世論に振り回されることを民主主義だと叫び、行政や政治に絡んでその速度を上げる。

 地方創生の名の下、起爆剤として都会から田舎へ若者を投下したところで、コミュニティーがおかしくなることは、大昔にトーマス・エリオットも言っておりますし、歴史は繰り返すし、人間は何が何でも成長などしないという警鐘なのでありましょう。

 

 別に移住者や新しいことが悪であるというつもりはありませんが、結果はろくでもないことは誰しもうすうす知っていることでありましょうから、その速度にブレーキをかけたり、おかしげなことに睨みをきかせて住んでみる。

 そのためには、必然を認めながらも必然に抗して見せるという姿勢が、これからの若い世代に求められる生き方なのかもしれません。

 

 小さい声で言いますと、大半の少国民世代など当てになりませんから(汗)、ぜひとも日和佐の若い人たちには、古いものこそ上等だという気分で、のほほんと継承していってほしいものであります。

 

 てなわけで、新年早々、偉そうなことを書いて、レッツ・スタート!\(^o^)/

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2016/01/04   admin

【お知らせ】ホームページ変更点など

 アーカイブページに、平成27年度の祭り動画と、4コマ漫画を追加しました。

 

 情報募集ページに、調べていることがらを追加しました。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご連絡くださいm(__)m

 

 平成28年度より、記念品として配布しております「擬人化缶バッジ」を全町シリーズ化して作ります!

 祭りに参加され、かつ缶バッチがほしい!にもかかわらず、お手元にない方は、お問い合わせください。在庫があれば、お譲りします。

 ないとは思いますが、こんなケーキで祝いたいというご要望もありましたら、ご連絡くださいませ。全町、対応できますヽ(`▽´)/

 代金は、ケーキ屋さんに払ってね☆彡

 

 と、こんなところで、以上。おわり。

 

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2015/12/28   admin

【痛】絵馬を作った

 今年も残りわずかとなりました。

 

 別段、忙しいこともないので、絵馬を作ってみましたよ(゚∀゚)

 う〜ん。これは痛い、痛いぞ!でも目立つので、八幡さんの目にはとまるハズ?

 

 そんな痛い絵馬を日和佐八幡神社に奉納(予定)なので、参拝の際に見かけられましたら、ぜひ裏返してご笑覧ください(汗

 ま、真似したい人は、真似してもイイんだぜ!щ(゚д゚щ)

 

 それでは、良いお年を。

 

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2015/12/27   admin

彫刻を見てみよう(本町)

 日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第五弾。


 今回は、一風変わった「本町」であります。

 

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 何が変わっているかと言いますと、全国でも例のない冠婚葬祭ゼブラープリズン?な白黒の布団や、“願いのミックス”など、布団太鼓の前提をことごとく無視した作りに奥河町と同じ我が道を行く匂いが漂っております。

 

 本町は、天保九年(1838年)に作られた記録があるそうで、中村町のいっこ下。この町が作られた年代から、激動期独特の厳つさが彫物にも反映されているわけですが、本町は少しだけ愛嬌があるように思います。

 

 それでは詳しく見て行きましょう。

 

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まずは、正面。鷲。背景が波なのが珍しい。

 

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正面右側・東は、金鶏。西新町と同じです。

 

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正面左側・西は、鶴。めでたい感じです。

 

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そして背面・北は、亀と鯉。

 

 これは、本町最大の特徴といってよく、この組み合わせは、かなり珍しいものだと思います。

 

 海亀の町・日和佐だからなのか、江戸後期の庶民の長寿のシンボルとして亀なのか、「鯉の滝登り」で繁栄を願うものなのか、南房総に多く見られる彫物が一挙におがめるのは、おそらく、この本町の北側だけだと思います。

 

 古代史的にいえば、関東の住民のはじまりは、戦いに敗れて逃げていった人たちと、徳島人が千葉県に渡ったのがはじまりとされており、安房(あわ)という地名もそのことを暗に語っていると思います。

 

 南房総によくある彫物と、徳島県南の太鼓屋台の彫物がちょっと似ているというのは、歴史的に面白いことだと思います。

 

 ともあれ、この亀と鯉という組み合わせは、日和佐のちょうさの中でも唯一無二の彫物であり、他にも本町が他所町と違うところは、この二重の縁束(えんずか)部分でありましょう。

 

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 なぜ、このような形なのかというと、宵宮の町廻りで車輪を付けるさい、車輪用の脚として、このような形状になっているものと思われます。

 

 さすが、はじめて車輪を付け始めた前例として、先端を行っていますね!

 

 これが契機で、本町同様、人が少なく、かつ重たい西新町が車輪を付け始め、西がやるならと戎町も真似たら他の町も続いたというエピソードに繋がるわけです。

 

 これらについては、また後日、本町の解体新書と一緒に紹介したいと思います。


 来年、一番太鼓の本町。近くで鑑賞されるさいは、ぜひとも背面の亀と鯉をじっくりとご覧になってはいかがでしょうか(/・ω・)/

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2015/11/14 ちょうさのこと   admin