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キャラクター擬人化の情報を不定期にお届けします。

マンガ公開しました(第15回)

 マンガ公開しました〜。

 

 東に関船!? いま何処? 次回も新キャラ登場か!?

 

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 前々から、ずっと描きたかった、昔懐かし日和佐のお祭りに関するお話し。

 みんな、覚えているかな〜? 

 

 今回は、東町の関船(せきぶね)が登場。

 資料があまりないので、年寄りから聞いた話を参考に、まあこんな感じのキャラであろうと誕生しました(汗)

 

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写真:日和佐八幡神社

 

 ざっと見るかぎり、仮装化粧をした子供を乗せ、宝船のような出で立ち。

 周囲の大人たちも陽気で、暴れ狂っていたちょうさとは対照的な町廻りであるかのよう。ちょうさには、カミ様は乗ったりしませんから、化粧をした子供を船に乗せることによって<よりまし>的な役割と、祭りに本格参加できない子供の「子供神輿」的な役割があったのかも。

 

 しかし、さすが漁師町系ということで、狭い日和佐の路地をガタガタと曳いていたという話から察するところ、この町には、担ぐか曳くかの差異しかなかったようですΣ(・∀・;)

 

 ただ、屋台に乗せる子供とは、どうあるべきか? という原型は、少なからず見えましょう。

 子供に化粧をさせるということは、非日常空間にいるカミ様の代理人ということで、日常生活に「お祭り騒ぎ」を持ち込まないための一種のケジメだし、カミ様や氏子を楽しませる俳優(わざおぎ)の役目も担っていると思います。

 ちょうさがお入りのさい、順番待ちで太鼓に合わせて氏子が踊ったり騒いだりするのだって、知らず知らずのうちに俳優(わざおぎ)をしているわけです。

 

 一方で、ちょうさに乗り込む子供は、飴屋というよりは願人(がんじ)に近い役割で、投げ頭巾を被るのが一般的。

 願人(がんじ)とは、祈祷する人、カミ様と交信する人といったところでしょうか。

 この頭巾、日和佐では烏帽子(えぼし)と認識され、子供の正装だと思われており、「長崎くんち」の頭巾も日和佐の漁船団の影響である、という説が流布しております。

 

 ただ、調べていくと、どうしても起源は大阪にあり、日和佐のちょうさは、天神祭の運行と似ていることがわかります。

 スタイルは若干違いますけれど、投げ頭巾を被った願人(がんじ)がカミとの交信の動力源となり、采頭(ざいがしら)を筆頭に采方(ざいかた)たちが舁ぎ方(かつぎかた)に進行方向を指示します。

 

 日和佐はもっぱら、引退した宿老と呼ばれる年寄りがちょうさの前を歩いているのみ。これが悪いわけではありませんが、代わりに、拍子木が願人=打子に支持し、その音によって担ぎ手が動き、結果的に宿老が交通整理のようなことをする、すると人を気にせず拍子木は打子に・・・と、こういうループの出来上がりです。

 

 拍子木の良し悪しは、上手いかどうかではなく、「よく聞こえるかどうかである」とベテランの方に聞いたことがあります。確かに若い拍子木は、居ても立ってもいられず、怒鳴ったり担棒に触りにいったりと、ちょうさがふらふらと安定しなかったりしますが、上手い人は黙々と叩いている。

 昔の日和佐の秋祭りには、ちょうさのかき比べなるものがあったそうで、おそらく、どれだけキレイに長時間お練りしていられるかというのも、町の威厳に深く関わっていたのだと思います。

 

 ずいぶん脱線しましたけれど、今はなき関船から見えてくる、昔のスタイルと思想というものは、もう少し調べてみたいところでもあります。

 東町関係者の方で、関船に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただけると、幸いですm(__)m

 

 それでは、次回へつづく!

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2016/07/25 リリース   admin

【11回目】実質?名目?誕生日

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 さて今回は、歴史を実質か名目どちらから見るかというお話し。

 

 桜町は、ご存知のとおり西新町からちょうさを譲り受けて今年で70年になります。おめでとう(゚∀゚)!

 言わずもがな、日和佐では新参者の部類であります。
 ところが、使っている屋台の年齢はというと、享和四年(1804)製で今年で212歳になります。


 戎町の屋台が大正10年に作り変えたという話があるため、日和佐では東町に続き、桜町の屋台が二番目に古いということになるでしょう。

 しかもこれ、谷屋(戎町)からもらったモノという口伝が年寄りの常識としてあるため、真に受けますと、享和四年(1804)より古い可能性も。
 なんという物持ちの良さ!!


 一方、サバを読んでしらばっくれるうるふ様(日和佐八幡神社)の年齢はというと、諸説あって本当のところは、わかりません^^;

 ご存知、式内社の和耶神社が前身でして、長らく羽浦神社と「ウチが元祖だ!」と争っております。
 ともあれ、由緒では天正6年(1351)と書かれているので、その辺りには、日和佐にいたと考えられます。


 日和佐八幡神社のホームページには、天平6年と書かれていますが、たぶん「天平」と「天正」の打ち間違いかと。。。

 

 そんなこんなで、天正6年に日和佐の西河内にやってきて、その後、永正17(1520)に現在の位置に引っ越した感じでしょうか。
 境内楠の推定樹齢も500年といわれるのを鑑みても、お引越し500年説は有力であります。

 けれども、本当に式内社であったならば延長五年(927)には既に鎮座していたかもしれず、けっこうスゴイことではありませんかね?

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2016/06/21   admin

【10回目】お着替えいろいろ?

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 今回は、ちょうさ組立のお話し。

 普通たいてい、ちょうさの組立は、こんな風に八幡神社の太鼓納屋で行うのが一般的です。

 

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 こちらは、桜町・・・じゃなかった、奥河町です。布団の枠は白いんです∠( ゚д゚)/

 

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 組み立てたら、各々、自分の町まで運びます。

 

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 本町や中村町などは、布団の部分だけ町民館などで組み立てて、太鼓納屋でドッキングするパターン!

 そして、自分の町まで運んでいきます。

 

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 一方、戎町はというと――、

 町民館横の避難タワー(通称:タスカルタワー)下で組立。

 

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 屋根があるし電源もあるしで便利な場所です。

 

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 かつては、戎町ちょうさの実家ともいえる「谷屋」で組み立てていたそうなのですが、タワーの下の方が開けているし雨露しのげるということで、近年はもっぱらココ。

 昔ながらのやりかたで、谷屋の前で組み立てようという声もきかれます(゚∀゚)

 

 ただ、タワー下での組立が理にかなっているなと思うのは、ちょうさの構造にあるかもしれません。

 というのも、戎町は欄間があるため、屋台の天井が吹き抜けではなく、布団を乗せるために外側から人が乗り込む必要があり、梯子をタワーに架けて乗り込みます。←ここ大事

 天井がない町のちょうさは、内側から乗り込んで積み上げたり、組み立ててから乗せるという方法をとっているところも。いずれにせよ、布団と屋台を繋ぐために、人が乗り込まなければならないのは、ちょうさ共通の手順で、屋台へのダメージを最小限に抑える工夫といってよいでしょう。

 

 他方、天井のある町の西新町や奥河町(※戎濱除く)も戎町と同じでありますが、奥河町は素で布団に梯子を架けてしまうワイルドさ!!Σ(・∀・;)

 しかも、大人が二人くらい乗り込んだりするので、丸桁にヒビがあるのはそのせいだと思うよ・・・(汗)

 

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 とまあ、組み立て方ひとつとっても、各々町の性格とか雰囲気が現れていて面白いものです。

 和気あいあいと時間をかけて組み立てる町・・・、さっと組み立てて後は太鼓を叩きまくっている町・・・、基準などないので良し悪し語るつもりはないのですが、擬人化キャラの性格付に大いに参考にさせていただいておりますので、今後とも、祭りの際は、組立のお邪魔をさせていただきたく、よろしくお願いいたしますm(__)m

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2016/05/16 ちょうさのこと   admin

START:DASH!?

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 新年度が始まったと思いきや、もう四月が終わりつつあって、時が経つのは早いものです。

 今年の秋祭りは、10月8日・9日やぞ(;・∀・)!早いな!

 

 本年は本町が一番太鼓です。

「人おらんけどいけるんか・・・?」

 心配ご無用。なんだかんだで、応援の割当が多すぎて担ぎ手が溢れているという変な状態なので、難なく終わることでしょう(汗)

 

 けれども、一番の年くらいは、赤法被がいない方が美しいと思っている次第でもあります。

 別に関係者とケンカするつもりはないのですが、祭りとは本来、氏子のもの(←ここ重要)でありますから、よそ者とかちょっと寄っただけの留学生などに触らせてほしくなかったりするのが本音です。年寄りが「情けないけん置いといたらいいんじゃ・・・」と嘆いたりするのもわからんでもない。

 

 祭りを続けるためにルールを変えて外の力に頼るのか、外部に頼らず祭りとして筋を通すのか、難しい時代であると思います。

 なので、県外の本町出身者や関係者は、知人を誘い合わせてもいい、ぜひとも帰ってきて、本町の祭りに参加してほしいよ( `・∀・´)ノヨロシクね☆彡

 

 まだ半年ある。いまから休みとって帰ってこーーーい!!∠( ゚д゚)/

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2016/04/24   admin

【お知らせ】日和佐八幡神社☆HP更新(H28)

 日和佐八幡神社のホームページが、平成28年度版に更新されておりますYO!

 

 八幡神社のトップページが変わると、秋祭りまで「あと半年かぁ・・・」という気分になりますね(・∀・)

 

 サボりがちだった当ブログも、ちょこちょこ更新していきますので、また懲りずに閲覧ください〜。

 新キャラでるかも?!乞うご期待。

 

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2016/04/11   admin

マンガ公開しました(第14回)

 マンガ公開しました〜。

 

 これぞ正統?赤布団!!根も葉もないが標準ぞ

 

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 今回は、日和佐では唯一の赤い布団の奥河町のお話し。

 

 関西地方の方が日和佐の祭り見物にこられて、一番親近感をおぼえるのは、奥河町のちょうさではないでしょうか\(^o^)/

 今回のテーマでは、なぜ、全国のふとん太鼓の大半は、赤が多いのかを論じておりますが、諸説の一例なので、あまり真に受けなくても結構です。

 

 ただ、ふとん太鼓は宇宙を表し、ルーツはペルシャだイランだのと説いている専門家よりは、日本的な発想でアプローチしたいと思います(・∀・)

 

 そもそもなことをいえば、文明の終着地に住む日本人の中には、大昔から陰陽五行説に由来する対比と色彩感覚が流れておりますので、紅白という配色が好んで使われているのは、ごくごく自然なことのように思います。

 

 なんだかよくわかりませんが、紅白色のものを見ると、おめでたい気分になるのだから、これぞ日本人のコモンセンスでありましょう。
 だから、米が穫れたら、豊作を祝って、日本的な感覚で飾り、奉納していたのだとすると、それがふとん太鼓に繋がっても、なんら違和感を感じないのであります。

 

 紅白のふとん太鼓は、瀬戸内海沿いの漁師町によくみられますが、それだって、日本的な色彩感覚により、白と赤を使っているにすぎないのかもしれず、そこへ財力とか美意識が混ざり込み、実際は、たいした意味など存在しないのではないかと、フィールドワークでの聞き取りからも実感するところであります。

 

 なにせ、その地域の文化的感覚によって組まれ、飾られていくわけで、例えば香川のふとん太鼓など、巨大でキラキラしている。

 すると、お隣の徳島など、“小さなショボい太鼓”であるとの烙印を押されがちですが、徳島からすると、雨乞いの道具でもあるふとん太鼓を必要以上に大きくし、デカデカと龍の刺繍を布団締めに縫い付ける香川は、よほど水に困っているのではないかと、そういう風にも見えるわけです。

 

 日和佐・戎濱が昔にやらかした“”にせよ、陰陽五行を持ち出せば、ちゃんと意味があるわけで、色の良し悪しは土着で培われた文化的感覚が決めていくのだと思います。ゆえに後、文化的違和感に茶々が飛び、スタンダールも驚きの「赤と黒」の布団に戻るわけです(汗

 

 真実は少数派に宿る、とはいうものの――、
 圧倒的に赤のふとん太鼓が多いのは事実ですので、これぞ“百一匹目のサル現象”的デファクトスタンダードであると結論づけ、マンガの解説にしたいと思います。

 

 おわり。

 

↓↓余談↓↓


 ちょうさ保存会向けに進言申し上げるならば、祭りの訴求として、奥河町のちょうさを全面に打ち出すと、他所の地域の人は親近感をもって見てくれるでしょうし、世にも珍しい白い布団の西新町や桜町も赤い地域への希少性を訴えることができるかもしれません。

 

 イチオシは、全国ホウボウ見渡して、一例も見たことがない、本町の白黒のちょうさも、レアな意味で訴求力はあるかも・・・。

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2016/03/06 リリース   admin

紀元節(2676)

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 日本国さま

 

 2676歳のお誕生日、おめでとうございますm(__)m


 これからも、いつまでも、稲穂の実る瑞穂の国は、連綿と続くことでしょう。

 

 この国は、米の作り方を広めつつ、八紘一宇の精神で平定された、世界で一番古い国。

 文明の終着地であり、世界で一番ガッツのある人たちが、作り上げた奇跡の国。

 そんな超クールな国・日本の誕生を、みんなで一緒に祝いましょう\(^o^)/

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2016/02/11   admin

【9回目】うるふ様がみてる?

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 てなわけで、今回は、桜町西新町寺込のお話し。

 元ネタ、わかるかな(;・∀・)?

 

 桜町と西新町が姉妹関係にあるのは、日和佐の方なら周知のことだと思います。しかし、それ以前のことは、あまり知られていないようなので、今回は、そんな三町を取り上げてみたいと思います。

 

 昭和二十一年、西新町は、旧のちょうさの扱いに困っていました。スペアとしてとっておくべきか、いっそ処分するべきか・・・。

 そんなとき、なーんにもない新興地でちょうさも保有していなかった寺前地区が浮かびます。当時の寺前は、寺前込方。ご存知、あの大きなだんじりを、現・桜町と寺込が共同で運行していました。いや、もともと一つの町であったともいえるでしょう。

 

 そこへ、西新町から「ちょうさはいらんかね?」と言われ、「ほしい!やります!」ということで“だんじり派”“ちょうさ派”に分断、おのず町も別れて現在にいたるというわけです。

 

 翌年、「桜町太鼓規約」が制定されるとともに、西新町との繋がりを強くするため縁組なども盛んに行われたのだそう。桜町に住んでいるけれども、実家は西新町だという方もけっこういるのではないでしょうか?

 加えて、ちょうさを運行するために、習えや稼げと商売を始めだしたのも、一面の田んぼから商店街へと繋がるベースになっているようで、ちょうさ一台が日和佐の歴史に大きく関係していて興味深いことだと思います。

 

 余談ではありますが、西新町と同じ白い布団の桜町ですが、これは姉妹関係にあるからというわけではなく、参入時、布団を買うお金がなくて、木枠に白いペンキを塗っていたからだという説もあるようです。

 

 一方で、寺込のだんじりについて。

 このだんじりは、江戸末期〜明治初期大阪堺の二代目・西岡又兵衛(堺彫又)によって作られたもので、現・阿南市(那賀郡)の福井町(村)が大正初期に購入しました。

 堺の港を発ち、橘港で受け取ったという記録も残っております。

 しかし、堺型だんじりとしても大型だったため、福井村の人たちも曳くに曳けず、大正六年、日和佐の寺前にやってきたというわけであります。

 

 唐獅子牡丹のみごとな彫刻、伊勢音頭を歌いながらゆったりと練りゆくその姿は、カミの依代としての格の高さを、さぞ醸していたでありましょう。

 正確な作事は不明ですが、日和佐にやってきて、今年で99歳

 来年は100歳を迎えます!なんと現在の戎町(大正十年)のちょうさよりも年上ではないか(゚∀゚)!!

 

 全国のだんじりのたいはんは、空襲で焼かれておりますので、100年ものは、とーってもすごい奇跡であると思います。願わくば、来年のカレンダーには、しょーもないギャル神輿とか氏子ですらない子供(7歳以下)の写真などつかわずに、寺込のだんじりを入れていただきたいものであります(`・ω・´)ゞ

 

 カメコの皆さん、たのんだよ!!

 

 ちなみに、初代・戎町のちょうさは、志和岐の吉野神社で、だらーんと色キチ太鼓として頑張っておるそうで、この辺のお話しは、また今度。

 

 ひとまず、おわり。

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2016/01/18 ちょうさのこと   admin

自販機が祭り仕様

 日和佐八幡神社から大浜海岸に抜ける道にある自販機が祭り仕様になっていた!

 

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 これ、いいやーん!

 

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2016/01/10   admin

あけましておめでとうございます(H28)

 新年、あけましておめでとうございます。

 本年も、ああだこうだと日和佐のお祭りを擬人化していく所存でありますので、どうぞ懲りずに( `・∀・´)ノヨロシク

 

 毎年恒例、元旦は日和佐・大浜海岸で初日の出。

 

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 続いて、日和佐八幡神社で初詣したり、痛い絵馬を引っ掛けたり(;・∀・)

 

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 本町太鼓納屋には、正月飾り。

 

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 今年は、本町・一番太鼓桜町・参加70年などが予定されておりますね!さて、どんな驚きがあるか、今から楽しみであります。

 

 日和佐の祭りを一歩下がって見ておりますと、知識や思想などなくても、若い人たちが素朴に熱心で、古いものを残していこうという気概にいつも安心するものであります。

 祭りがなければ、「日和佐にや住まん」と若い世代は口をそろえて言います。祭りのために「住まなあかん」とも言う。つまり、祭りは定住と安定をもたらすということ。これは、なかなか素晴らしい。

 こういう、緩やかながら強固な地域の文化の継承が、安易な中間共同体の破壊とグローバル化を防ぐ防波堤のようで、そういうところが好きなのです。

 

 グローバル化は、悲しきかな歴史の必然でありますが、自分で考えることもせず世論に振り回されることを民主主義だと叫び、行政や政治に絡んでその速度を上げる。

 地方創生の名の下、起爆剤として都会から田舎へ若者を投下したところで、コミュニティーがおかしくなることは、大昔にトーマス・エリオットも言っておりますし、歴史は繰り返すし、人間は何が何でも成長などしないという警鐘なのでありましょう。

 

 別に移住者や新しいことが悪であるというつもりはありませんが、結果はろくでもないことは誰しもうすうす知っていることでありましょうから、その速度にブレーキをかけたり、おかしげなことに睨みをきかせて住んでみる。

 そのためには、必然を認めながらも必然に抗して見せるという姿勢が、これからの若い世代に求められる生き方なのかもしれません。

 

 小さい声で言いますと、大半の少国民世代など当てになりませんから(汗)、ぜひとも日和佐の若い人たちには、古いものこそ上等だという気分で、のほほんと継承していってほしいものであります。

 

 てなわけで、新年早々、偉そうなことを書いて、レッツ・スタート!\(^o^)/

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2016/01/04   admin