新着情報

キャラクター擬人化の情報を不定期にお届けします。

ストイックな時代

 しばらく更新をサボっていたら、はや年も迫ってきました。
 
 先日、奥河町のW氏のおじいさんが撮影したという懐かしい写真を提供いただきました。どうもありがとうございます!
 今回は、その中から珍しいものをペタリ。白黒なので、けっこう古い写真ですな☆彡
 
 一枚目は、これ。

 

 

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 どこや?と思われるかもしれませんが、金神輿が“ヨコハマ”にて浸かっている写真。
 ヨコハマというのは、以前にも書きましたが、大浜海岸の前に太鼓を置いていた現在の水産試験場や魚市場があったところ。
 写真の奥には、厄除橋が見えます。薬王寺には、まだ瑜祇塔の姿がありません。
 
 当時は、ちょうさを水に浸けるという発想がありませんでしたが、神輿だけはどっぷりと禊(みそぎ)していたようです。←ここ重要
 
 メディアなどは海の穢(けがれ)を祓っているという説明をよくしていますけれど、神道的には、海に穢れを落としてもらっているという感覚。なにせ、カミ様が乗っていますから。
 これをちょうさが真似て海に入りだしたというのが、日和佐の祭りの特徴といえますφ(..)
 
 二枚目。

 

 

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 こちらは西新町の写真で、よく見ると打子が二人しか乗っていません。
 
 どういうこっちゃ?と思いましたが、この当時は、太鼓に女の子を乗せるなどもってのほかな時代で、本町同様、西新町も子供の少ない町でした。
 昭和37年は本町が据太鼓だったという記録もあるため、おそらく、同時期の光景なのかもしれません。

 一見すると、寂しい感じもしますけれど、こういう、伝統にストイックで、現状をどうにかしてしまう昔の道徳が写っている絵は、けっこう好きだったりします。
 
 人手不足といえば、今より人口が多かったさらに昔から問題になっており、祭りを続けていくというのは、本当に大変なことでありますな。


 そんなこんなで、本日は、以上!

 


 他にも、懐かしくて面白い写真をお持ちの方がおりましたら、ぜひみんなで共有できるよう、神社や役場、気が向きましたら当サイトへ送っていただけると幸いです。

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2016/12/19 ちょうさのこと   admin

LEDがあるときないとき

 秋祭りが終わって、はや一ヶ月が過ぎましたね。
 あらかた、写真などはアップロードしたつもりだったのですが、忘れていたのでこれも書いとこφ(..)
 

 今年、各町のちょうさを見ていて気づいたのは、ライトアップ合戦になっていること。そのため、例年よりも宵宮の夕暮れは明るい感じがしてはっきりくっきり見えました。

 本来、何もつけていなかったちょうさに提灯が灯され、中村町がLEDで照らし始めたのが影響していったものと思われます。個人的に、中村町の天幕がピカピカするのがお気に入りだったのですが・・・。

 

 ともあれ、今年は「彫刻が見えんようになる!」と頑なに光源の確保をしなかった戎町が、ついにLEDデビューとなりましたー!

 もともと、ランタンを高欄内側四隅に置いて、申し訳程度には照らしていましたが、どうもほの暗く、夕闇の戎町は撮影には不向きでありました。

 

 

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こんな感じ。

 

 

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ところが今年は、こんなに明るーい!

 

 

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LEDがあるとき〜(^o^) ないとき〜(T_T)

 

 

 という具合で、今年の戎町は明るいという話題であります。

 

 

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 よく見ていただくとお気づきのことと思われますが、ライトの色が戎町カラーの柿色

 他所町は、ライトこそ当てていますが、標準の白っぽい光源であります。一方、戎町はフィルムを貼って、柿色の光にしているのがちょっとしたこだわり(*´∀`*)

 

 

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 来年からは、UOのサイリウムで太鼓叩いたら、もう何が何だかワケワカメ(汗)

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2016/11/13   admin

差し上げの掛け声は何がいいか?

 先日、日和佐八幡神社のFacebookに、祭りの掛け声について書かれていました。


 それには、差し上げを意味する「サーセー サーセー」が、近年は「ヤーレー サーセー」になっているのはけしからんとのことで、町外の人に間違って伝わっているのではないかと危惧されていました。

 

 

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資料:戎町の掛け声
 

 


 確かに説明もなくやっていますから、なんだかよくわからずに見物している人が大半であります。
 祭りに参加した大学生の論文にも、けっこう的はずれなことが書かれていますし、そもそも、“敬意を表する差し上げ”がだんじり文化圏の観光客には“威嚇”と見られている向きもあります。
 
 順番待ちちょうさの休憩と芸能(わざおぎ)の時間も、知らない人には遊んでいると見られ、そこへ差し上げに行くちょうさは、おちょくりに行っている、などという解釈を年寄りのカメコの立ち話から聞いたこともあります。
 
 つまり、なーんにもわからずに見られているのが全町を追っかけている身としての感想なわけですΣ(・∀・;)
 


 さておき、けしからん「ヤーレー サーセー」について。
 これは、おそらく、叩き始めの「ヤーレン ヤーレン イッサンジャイ」の「ヤ」という音に引きずられる形で、「ヤーレー サーセー」になったものだと想像しております。
 ヘブライ語で解釈すると、「喜び歌い勇んで行く」と、ちゃんと意味が通じていますね。
 
 昔話を書きますと、これを書いている人が子供の頃、確かに皆、「サーセー サーセー」と言っていました。
 ところが、東町のみ「ヤーレー サーセー」だったという記憶もあって、当時は、各々町の特徴なのだと気にもとめておりません。
 今になって考えてみると、一番元気がありイケイケドンドンなムードメーカー的な漁師町として、「もっとやれ!やれ!」という勢いが「サ」を「ヤ」に変えてしまったのかも^^;
 
 話を戻し、なぜヘブライ語なのかといえば、イザヤの預言に従い「東の海の島」を目指したイスラエル人がアジアから日本列島目指し口ずさんだものがソーラン節として残り、開拓地から民謡として、音頭として、広まり掛け声として組み込まれていったのではないかと。
 
 叩き終わりの「エンエンエン」や「エンエンヤー」というのも、日本語としては通じません。
 ただ、終着するというような意味なので、日和佐では太鼓を置きますという雰囲気なのでありましょう。
 
 こんなことを書くと、日本はキリスト教の国だったとか適当なことを言う人が必ず出てくるわけですが、そもそも、日本は文明の終着地であり、南アフリカから出発した一番ガッツのある人々が作り上げた奇跡の国なのであって、世界各国の発想が入っていても全く不思議ではありません。
 もとい、他所の掛け声と比較し、調べるにあたっても、結果、日本語として通じず納得の行くものがなく、田中美知太郎のいう「言葉は過去からやってくる」という前提と日本の成り立ちに従った方がしっくりくるような気もします。
 
 また、「チョーサ」とて、元は大阪系の掛け声だと云われていますが、「チョウサ」=「喜んで行進する」という意味合いなので、これもそんな感じであると思います。かといって、日本の掛け声を今のイスラエル人に聞かせたところで、なんのこっちゃなことでしょう(・・?
 
 伝統は受け継いだものを意識したところに生まれるといいます。他方、言葉とは時代とともに変形していくもので、無意識のうちに受け継いでいくものでもあります。そして、いまここにしかない伝統から必要なことを思い起こすという作業の繰り返しが、継承と呼べるモノでしょう。
 
 つまるところ、差し上げを「サーセー サーセー」と叫ぶのは作法として正しいことなのかもしれませんが、言葉を生き物として見ると、別に「ヤーレー サーセー」でも、矯正するしないは別として、どちらでもええじゃないかというのが、このブログの見解であります☆彡
 なにせ、掛け声や叩き方も、昔と比べて相当変わっているらしいですし・・・。
 
 次世代に残していくのであれば、各町が示し合わせて統一の掛け声を文字に起こしつつ、各々好きに色を出していく、という継承はどうですかねφ(..)

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2016/11/05 ちょうさのこと   admin

マンガ公開しました(第17回)

 マンガ公開しました〜。

 

 他所町見習い七十年。一番気張るぞ!いざ行かん!

 

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 さて、始まりました恒例の祭りのレポと意気込み。今回は、西新町の妹・桜町のお話。
 
 昭和21年に祭りに参加して、今年で七十年になりました。←屋台自体は古いですが・・・。
 いや〜、めでたいめでたい。

 

 

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 昨年、太鼓を新調し、今年は高欄(こうらん)も新調しました。
 古い本体と後から底上げした布団台、そして真新しい高欄の色合いが違い、古いのか新しいのかわからない見栄えですな(゚∀゚)
 
 中村町や奥河町の記録によると、桜町は、輪番の最後だった本町の後に入る形で、現在の運行表ができました。

 

 

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 それまでは、参入順(戎濱のみ最後)や浦三町(戎町・東町・中村町)が取り仕切る形でやっていましたが、※東町コースアウトによる西新町との大乱闘事件があり、その反省から、いろいろとルールが決められ、今のような祭りになったと云われておりますね^^;
 
 たぶん、大浜海岸に御旅所を置くようになり、海にも入るようになったきっかけが、この二町のトラブルにあったといえるでしょう(汗)(※後日、マンガにでもします)
 
 さておき、桜町初参加の日は、あいにくの台風という残念すぎるデビューをかざります。
 
 参加当時は、他町を見習い、追いつけ追い越せで習得したものを愚直に守ってやってきました。
 桜町の注目すべきところは、この愚直さであり、他所町が人口減少によりやむなくルールを変更せざるをえない中、人口の多い桜町は、昔ながらの運営を保ち続けてきたわけです。
 
 運営の規約にはじまり、掛け声や、少なくとも七十年前の叩き方など、新参者なのに懐かしい感じがするのは、米国人の豆腐屋のように、わからないから崩さないというスタンスが脈々と引き継がれ、桜町のスタイルになってきている気がします。
 
 話はそれますが――、戎町年寄りの口伝では、ちょうさ誕生のさい、試作機として何台か作り、他所の町に配ったとかなんとか。
 そして、桜町年寄りの一部共通認識としても、「西からもろたが、元は”たんにゃ”のもんじゃ」という声を何度か聞いたことがあります。

 年寄りの言うことなど、たいてい記憶違いかボケていることが多いのですが(←問題発言)、違う角度から同じような証言がふと出てきた時は、本当くさい気もします。
 
 だとするならば、戎町と桜町も姉妹関係にあるのかもしれず、調べるほどわからなくもなってきましたが、なんだか面白くなってきたぞ!どういうことじゃ〜( ;∀;)

 

 

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 そんなこんな桜町は、来年一番太鼓ということで、いろいろと調べてみたいと思います。
 
 ほな、また!

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2016/11/03 リリース   admin

宵宮・町廻り(H28)

 祭りが終わって、はや二週間。

 

 毎年恒例、戎町の宵宮の様子をペタペタ。

 今年は、雨の予報で午前中は笠を被っておりましたが、町廻りが始まると汗ばむほどの暑さに(*´Д`)

 いや〜、カメラ持って走り回るのしんどかった・・・。

 

 来年は、戎町222年ということで、何かしら企み頑張るぞ!(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

 

 ともあれ、皆さま、お疲れさまでありました。

 

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【町廻り・戎町(H28)その1】

 

【町廻り・戎町(H28)その2】

 

【町廻り・戎町(H28)その3】

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2016/10/22   admin

日和佐八幡神社・秋祭り(H28)

 今年も何事もなく、日和佐八幡神社の秋祭りが終わりました〜!

 

 本年は、直前に台風が接近し、かと思えば影響はなく、そのくせ当日は土砂降り(;´・ω・)

 式典が始まると、ちゃっかり上がって、奇妙な天気でありました。これも、神通力ですかね八幡さん(汗

 

 そんなわけで、各町、ちょうさに笠を付けるか否か、出発まで判断に迷ったのではないでしょうか?

 

 何はともあれ、みなさま、本当にお疲れさまでございました(∩´∀`)∩弥栄〜!

 

 

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一番太鼓・本町

 

二番太鼓・桜町

 

三番太鼓・中村町

 

四番太鼓・戎濱

 

五番太鼓・奥河町

 

六番太鼓・戎町/前半

 

六番太鼓・戎町/後半

 

七番太鼓・東町

 

八番太鼓・西新町

 

※動画について

  1. 雰囲気の撮影を優先したため、多少のブレがあります。
  2. なるべくカットをせずに、そのまま繋げてあります_(._.)_

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2016/10/15   admin

一宮、はじまりました(H28)

 秋祭りまで一週間を切りましたね!

 一宮ということで、各町・太鼓納屋で準備に取り掛かっております。

 

 

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東町は、なんと二週間前から組んでいたとか。早すぎるわ(゚д゚)!

 

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おやおやおや!?
桜町、高欄が新しくなっとるー!

 

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戎濱がオープン!布団枠一体型なので、ほぼ完成しています。

 

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戎町は、台風接近のため太鼓(屋台)は出さず。
これは、自分の町で組み立てるという習わしのため。

 

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こちらは、今年一番太鼓の本町。

 

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こちら西新町。
布団締めを通す枠は外れるんですね!?

 

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中村町。あいかわらず、テキパキ。

 

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一方、戎町では太鼓の練習が始まりました。

 

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当屋の前に、幟を立てます。

 

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屋台が組めないので、金具を磨きます(`・ω・´)ゞ

 

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 と、まあ、一宮レポートでございました。
 みなさま、祭りまでお元気で〜。

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2016/10/04   admin

マンガ公開しました(第16回)

 マンガ公開しました〜。

 

 来る一番! 手本か? 見本か? 町の縮図にご注目!?

 

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 今回は、自称・日和佐のオピニオンリーダー? 本町のお話し。

 

 国道55号線や桜町商店街ができる前、旧街道が通っていた頃は、本町は、まさに日和佐のメインストリートで、さぞや豊かであったことでしょう。
 豊か故に、「ちょうさくらい運営できるわぁ〜」といったノリで人員そっちのけで参戦してしまったがゆえ、金はあるが人がいないという状態でやってきました。

 

 まだ日和佐の人口が1万人ほどいたときでさえ、過去に「据え太鼓」を経験した本当に人の少ない町です。
 軒数にして27(゚д゚)!

 住民票は名目ですから、実質の日和佐地区の人口が2500人くらい・・・。

 そのため、あれやこれやと工夫工面して、祭りに参加してきた苦労人。

 

 東町や中村町が何か新しいことをやると、他の町がマネしだすのと同じように、本町の動向もまた、日和佐の祭りの指針を見る上で重要な事柄の一つなわけです。

 

 そんな本町は、今年、一番太鼓。16年前に作った一番法被を羽織り、原点回帰を目指します。

 お手伝いに入られる各町の皆々様、どうぞよろしくはっちゃけおたの申し上げます〜(・∀・)

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2016/09/11 リリース   admin

秋祭り(H28)まであと一ヶ月

 どうも、お久しぶりです、こんにちは。

 

 秋祭りまであと一ヶ月ちょっとですね〜。

 早い町では、そろそろ組み立ての前準備などしている頃ではないでしょうか?

 

 今年は、本町一番太鼓ということで、組み立てのピックアップでも(^^ゞ

 

 写真は、去年(H27)のものになりますが、この町は、人出が少ないので、他の町よりも早くに組み立てに入ります。

 

 

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一宮の前日。境内には本町の氏子が。

 

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写っていませんが、木枠には向きや順番が書かれています。

 

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少人数で担棒をくくり――、

 

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あれやこれやと組み立てていきます。

 

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なんとか屋台は完成!

 

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町民館に移動したら、布団部分の組み立て。

 

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白黒白黒、、、。

 

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なつかしの一番太鼓用法被。今年は、復活なるか?!

 

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ほとんどパズルの固定器具。

 

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下に潜って、押さえながらの作業。

 

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構造的に奥河町と似ています。

 

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組んだら布団締め。

 

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本町は、昔ながらの天辺で結ぶタイプ。

 

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古い木箱も見つけました。

 

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天幕を付けます。

 

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トンボも付けます。

 

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忘れてはいけない房!

 

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布団締めと布団台の間を隠す「隠し額」を取り付け――、

 

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屋台に乗せたら完成です。

 

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それでは、みんなでいっさんじゃい!

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2016/09/03   admin

谷屋調査報告会に行ってきた

 8月6日、日和佐公民館で開催された「谷屋調査報告会」に行ってきました。

 

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 これを書いている人は、ちょっと辛口なので正直な感想を書きますと、どれもネットで引ける内容ばかりで、谷家の構造など新鮮味はどこにもなかった。

 また、所有していた絵や器などを検品して、お高いものばかり持っているので「金持ちだったのですね!」という結論から、どこに地域を活性化する手がかりがあるのか、想像力が乏しいので今ひとつピンとはこなかった・・・。

 

 日和佐の歴史などを調べるにあたっては、おそらく日和佐ではなく、日和佐人のルーツである木頭や相生を調べる必要があると思うし、八幡神社の訳の分からない複雑な「那賀川流域式組物」にしろ、西河内からなぜ引っ越したかということも念頭に取り込んだ方が、研究としては面白いのではないかと∠( ゚д゚)/

 そういえば、谷家も相生出身らしいですな。

 

 確かに、ずっとそこに住んでいる人たちには、価値は見出しにくいから外部の視点は必要であるとは思いますけれど、外部の人達には総じて、自分を育てた景色というものがないですから、けっこう的はずれなところもあるわけで、まあこんなものだろうと思う3時間でありました。

 

 ちゃんちゃん!

 

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 ひとつ気になった項目。

 ちょうさの今昔のところで、旗の変遷について書かれているのですが、この表記は違和感があるなぁー。

 

 なにせ、旗は日清日露大東亜と戦時中から掲げられたものであるし、敗戦後はGHQに「日章旗はアカン!」と言われて、独自のデザインや家紋を掲げるようになったといいます。

 そして、掲げた当時からデザインを変えていない町は、「戎濱」と「奥河」なので、戎町との比較対象としては、ふさわしくないと思うですが、、、おそらく、戎町と戎濱を混同されているのかも。

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2016/08/07 情報求む   admin