新着情報

キャラクター擬人化の情報を不定期にお届けします。

1番100年?!

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 どうも!お久しぶりです。ずいぶんサボってしまいましたが、サボっていたわけではありません!怠けていたのです(汗)

 さておき、いつの間にやら、夏ですね。夏越の祓をネタに何か描こうと思っていたら結局何もやらず、セミがミンミン鳴き出して、こんなことをしていると、お盆になり、あっという間に秋祭りですがな((((;゚Д゚))))

 

 平成29年度、今年の一番太鼓は桜町でありますが、寺込も(日和佐にやってきて)100周年!ということで、一応紹介しておきます(´∀`∩)↑

 

 以前にも書きましたが、寺込のだんじりは、江戸末期〜明治初期大阪堺の二代目・西岡又兵衛(堺彫又)によって作られたもので、現・阿南市(那賀郡)の福井町(村)が大正初期に購入しました。
 しかし、堺型だんじりとしても大型だったため、福井村の人たちも曳くに曳けず、大正六年、日和佐の寺前にやってきたというわけであります。

 

 本来は、100年以上と「文化財クラス」のだんじりなのにもかかわらずスポットが当たらないので、日和佐100周年を機に、もうちょいまじまじと見てあげましょうやといった記事でありました。

 

 それではさいなら=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

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2017/07/15   admin

【お知らせ】メールアドレス変更しました

 いつも当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
 先日、ひっそりとサーバーを引っ越ししたのにともない、メールアドレスを変更しましたのでお知らせいたします。

【現在】info@project4951.com
【変更後】info2@project4951.com

 infoのあとに「2」が付くだけ!

 どちら宛にでも届くのですが、見逃してしまうかもしれないので、なにか御用のさいは、info2の方までよろしくお願い致します(((((((((((っ・ω・)っ ブーン

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2017/07/14   admin

★脱いだら同じ?

project_extra_12.png

ダウンロードはこちら[ PDF:565KB]

 

 お久しぶりです!生きていますよ。こんにちは。

 

 久々すぎて、覚えていますか? ちょうさ(布団太鼓)の部位をシュールに紹介する部品の「ぶっ」!のコーナー。

 

 今回は、布団の骨格である「木枠」について。

 近年では、布団枠が一体化され、しかも軽量化のため中は空洞になっているので、布団とは名ばかりのハリボテ状態であるのが実情です。

 けれども、日和佐のちょうさの「布団」は昔ながらの組立式で、その一段一段に「布団」たらしめる布を巻いているわけです。

 

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 素材は、さまざま。洗濯がしやすいように化学繊維の町もあれば、羅紗(らしゃ)を使った町までも。

 これらは、「日和佐のちょうさ」という、各町が違った色の布団である多様性と独自性を表していると思います。

 けれども、組立前は、みんな白。なんや、みんな一緒やーん(((((((((((っ・ω・)っ ブーン

 

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 と、思っていたら、中村町だけ茶色いやーん!? なぜなら、痛まないように柿渋を塗っているのだと。見えないところにも気を配る中村町、やるな!

 というお話しなのでありました。

 

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柿渋を塗った中村町の木枠。
内側には大昔の台帳の紙が再利用されている。

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2017/05/14 部品の「ぶっ」!   admin

【速報】日和佐八幡神社・ふるさとキラリ賞

 日和佐八幡神社の秋祭りが、「ふるさとイベント大賞」に入賞したそうですね!

 いや〜、こんな賞があったんやな\(-o-)/ ちょっと有名になってきたのかな?

 

 ↓動画付きの記事はこちら

 http://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024179661.html

 

kirari_hiwasa.png

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2017/02/24   admin

USA出身?!

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2017/01/29   admin

あけましておめでとうございます(H29)

 明けまして、おめでとうございます。

 

 昨年は、ちょっとサボり気味で、そのくせ描くことが多くて更新が追いついていませんでしたが、今年は、まじめに遊んでいきたいと思いますので、本年もどうぞ( `・∀・´)ノヨロシク

 

 元旦は、毎年恒例、日和佐八幡神社・横の大浜海岸で初日の出、、、、、と行きたいところですが、今年は風邪っぴきのためご来光も拝まず。うーん、青々とした水平線や。

 

 

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 その後、人気の引いた八幡神社で初詣。なんか、でかい文字があるーー!!

 

 

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 と驚いていると、禰宜のNさんと立ち話をして、八幡神社のHPをリニューアルするとかしないとか。

 そりゃ、いいやーん(^o^)丿

 なんぞの復旧のことを考えるとhtml形式もいいわけですが、今日日、CMSの方が管理が楽ですよね! どんなものになるのか楽しみであります。

 

 

 希望的観測としまして、作る人へ。寺込のページは絶対に加えてな! 絶対やで! 大阪方面の人は、寺込に興味をもって各町のちょうさを見ている傾向があります。

 あと、無理に英語の説明は不要だと思うし、まして「GOD」とか一神教の言葉を安易に使って、グローバルで滑ってほしくないので、その辺は、たいして影響力もないこのブログで表明しておき黙ります(汗)

 

 それでは、今年も一年、⌒°( ・ω・)°⌒がんばルビィ!

 

 

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↑今年の年賀

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2017/01/02   admin

ストイックな時代

 しばらく更新をサボっていたら、はや年も迫ってきました。
 
 先日、奥河町のW氏のおじいさんが撮影したという懐かしい写真を提供いただきました。どうもありがとうございます!
 今回は、その中から珍しいものをペタリ。白黒なので、けっこう古い写真ですな☆彡
 
 一枚目は、これ。

 

 

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 どこや?と思われるかもしれませんが、金神輿が“ヨコハマ”にて浸かっている写真。
 ヨコハマというのは、以前にも書きましたが、大浜海岸の前に太鼓を置いていた現在の水産試験場や魚市場があったところ。
 写真の奥には、厄除橋が見えます。薬王寺には、まだ瑜祇塔の姿がありません。
 
 当時は、ちょうさを水に浸けるという発想がありませんでしたが、神輿だけはどっぷりと禊(みそぎ)していたようです。←ここ重要
 
 メディアなどは海の穢(けがれ)を祓っているという説明をよくしていますけれど、神道的には、海に穢れを落としてもらっているという感覚。なにせ、カミ様が乗っていますから。
 これをちょうさが真似て海に入りだしたというのが、日和佐の祭りの特徴といえますφ(..)
 
 二枚目。

 

 

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 こちらは西新町の写真で、よく見ると打子が二人しか乗っていません。
 
 どういうこっちゃ?と思いましたが、この当時は、太鼓に女の子を乗せるなどもってのほかな時代で、本町同様、西新町も子供の少ない町でした。
 昭和37年は本町が据太鼓だったという記録もあるため、おそらく、同時期の光景なのかもしれません。

 一見すると、寂しい感じもしますけれど、こういう、伝統にストイックで、現状をどうにかしてしまう昔の道徳が写っている絵は、けっこう好きだったりします。
 
 人手不足といえば、今より人口が多かったさらに昔から問題になっており、祭りを続けていくというのは、本当に大変なことでありますな。


 そんなこんなで、本日は、以上!

 


 他にも、懐かしくて面白い写真をお持ちの方がおりましたら、ぜひみんなで共有できるよう、神社や役場、気が向きましたら当サイトへ送っていただけると幸いです。

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2016/12/19 ちょうさのこと   admin

LEDがあるときないとき

 秋祭りが終わって、はや一ヶ月が過ぎましたね。
 あらかた、写真などはアップロードしたつもりだったのですが、忘れていたのでこれも書いとこφ(..)
 

 今年、各町のちょうさを見ていて気づいたのは、ライトアップ合戦になっていること。そのため、例年よりも宵宮の夕暮れは明るい感じがしてはっきりくっきり見えました。

 本来、何もつけていなかったちょうさに提灯が灯され、中村町がLEDで照らし始めたのが影響していったものと思われます。個人的に、中村町の天幕がピカピカするのがお気に入りだったのですが・・・。

 

 ともあれ、今年は「彫刻が見えんようになる!」と頑なに光源の確保をしなかった戎町が、ついにLEDデビューとなりましたー!

 もともと、ランタンを高欄内側四隅に置いて、申し訳程度には照らしていましたが、どうもほの暗く、夕闇の戎町は撮影には不向きでありました。

 

 

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こんな感じ。

 

 

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ところが今年は、こんなに明るーい!

 

 

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LEDがあるとき〜(^o^) ないとき〜(T_T)

 

 

 という具合で、今年の戎町は明るいという話題であります。

 

 

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 よく見ていただくとお気づきのことと思われますが、ライトの色が戎町カラーの柿色

 他所町は、ライトこそ当てていますが、標準の白っぽい光源であります。一方、戎町はフィルムを貼って、柿色の光にしているのがちょっとしたこだわり(*´∀`*)

 

 

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 来年からは、UOのサイリウムで太鼓叩いたら、もう何が何だかワケワカメ(汗)

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2016/11/13   admin

差し上げの掛け声は何がいいか?

 先日、日和佐八幡神社のFacebookに、祭りの掛け声について書かれていました。


 それには、差し上げを意味する「サーセー サーセー」が、近年は「ヤーレー サーセー」になっているのはけしからんとのことで、町外の人に間違って伝わっているのではないかと危惧されていました。

 

 

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資料:戎町の掛け声
 

 


 確かに説明もなくやっていますから、なんだかよくわからずに見物している人が大半であります。
 祭りに参加した大学生の論文にも、けっこう的はずれなことが書かれていますし、そもそも、“敬意を表する差し上げ”がだんじり文化圏の観光客には“威嚇”と見られている向きもあります。
 
 順番待ちちょうさの休憩と芸能(わざおぎ)の時間も、知らない人には遊んでいると見られ、そこへ差し上げに行くちょうさは、おちょくりに行っている、などという解釈を年寄りのカメコの立ち話から聞いたこともあります。
 
 つまり、なーんにもわからずに見られているのが全町を追っかけている身としての感想なわけですΣ(・∀・;)
 


 さておき、けしからん「ヤーレー サーセー」について。
 これは、おそらく、叩き始めの「ヤーレン ヤーレン イッサンジャイ」の「ヤ」という音に引きずられる形で、「ヤーレー サーセー」になったものだと想像しております。
 ヘブライ語で解釈すると、「喜び歌い勇んで行く」と、ちゃんと意味が通じていますね。
 
 昔話を書きますと、これを書いている人が子供の頃、確かに皆、「サーセー サーセー」と言っていました。
 ところが、東町のみ「ヤーレー サーセー」だったという記憶もあって、当時は、各々町の特徴なのだと気にもとめておりません。
 今になって考えてみると、一番元気がありイケイケドンドンなムードメーカー的な漁師町として、「もっとやれ!やれ!」という勢いが「サ」を「ヤ」に変えてしまったのかも^^;
 
 話を戻し、なぜヘブライ語なのかといえば、イザヤの預言に従い「東の海の島」を目指したイスラエル人がアジアから日本列島目指し口ずさんだものがソーラン節として残り、開拓地から民謡として、音頭として、広まり掛け声として組み込まれていったのではないかと。
 
 叩き終わりの「エンエンエン」や「エンエンヤー」というのも、日本語としては通じません。
 ただ、終着するというような意味なので、日和佐では太鼓を置きますという雰囲気なのでありましょう。
 
 こんなことを書くと、日本はキリスト教の国だったとか適当なことを言う人が必ず出てくるわけですが、そもそも、日本は文明の終着地であり、南アフリカから出発した一番ガッツのある人々が作り上げた奇跡の国なのであって、世界各国の発想が入っていても全く不思議ではありません。
 もとい、他所の掛け声と比較し、調べるにあたっても、結果、日本語として通じず納得の行くものがなく、田中美知太郎のいう「言葉は過去からやってくる」という前提と日本の成り立ちに従った方がしっくりくるような気もします。
 
 また、「チョーサ」とて、元は大阪系の掛け声だと云われていますが、「チョウサ」=「喜んで行進する」という意味合いなので、これもそんな感じであると思います。かといって、日本の掛け声を今のイスラエル人に聞かせたところで、なんのこっちゃなことでしょう(・・?
 
 伝統は受け継いだものを意識したところに生まれるといいます。他方、言葉とは時代とともに変形していくもので、無意識のうちに受け継いでいくものでもあります。そして、いまここにしかない伝統から必要なことを思い起こすという作業の繰り返しが、継承と呼べるモノでしょう。
 
 つまるところ、差し上げを「サーセー サーセー」と叫ぶのは作法として正しいことなのかもしれませんが、言葉を生き物として見ると、別に「ヤーレー サーセー」でも、矯正するしないは別として、どちらでもええじゃないかというのが、このブログの見解であります☆彡
 なにせ、掛け声や叩き方も、昔と比べて相当変わっているらしいですし・・・。
 
 次世代に残していくのであれば、各町が示し合わせて統一の掛け声を文字に起こしつつ、各々好きに色を出していく、という継承はどうですかねφ(..)

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2016/11/05 ちょうさのこと   admin

マンガ公開しました(第17回)

 マンガ公開しました〜。

 

 他所町見習い七十年。一番気張るぞ!いざ行かん!

 

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 さて、始まりました恒例の祭りのレポと意気込み。今回は、西新町の妹・桜町のお話。
 
 昭和21年に祭りに参加して、今年で七十年になりました。←屋台自体は古いですが・・・。
 いや〜、めでたいめでたい。

 

 

sakura70_1.jpg

 


 昨年、太鼓を新調し、今年は高欄(こうらん)も新調しました。
 古い本体と後から底上げした布団台、そして真新しい高欄の色合いが違い、古いのか新しいのかわからない見栄えですな(゚∀゚)
 
 中村町や奥河町の記録によると、桜町は、輪番の最後だった本町の後に入る形で、現在の運行表ができました。

 

 

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 それまでは、参入順(戎濱のみ最後)や浦三町(戎町・東町・中村町)が取り仕切る形でやっていましたが、※東町コースアウトによる西新町との大乱闘事件があり、その反省から、いろいろとルールが決められ、今のような祭りになったと云われておりますね^^;
 
 たぶん、大浜海岸に御旅所を置くようになり、海にも入るようになったきっかけが、この二町のトラブルにあったといえるでしょう(汗)(※後日、マンガにでもします)
 
 さておき、桜町初参加の日は、あいにくの台風という残念すぎるデビューをかざります。
 
 参加当時は、他町を見習い、追いつけ追い越せで習得したものを愚直に守ってやってきました。
 桜町の注目すべきところは、この愚直さであり、他所町が人口減少によりやむなくルールを変更せざるをえない中、人口の多い桜町は、昔ながらの運営を保ち続けてきたわけです。
 
 運営の規約にはじまり、掛け声や、少なくとも七十年前の叩き方など、新参者なのに懐かしい感じがするのは、米国人の豆腐屋のように、わからないから崩さないというスタンスが脈々と引き継がれ、桜町のスタイルになってきている気がします。
 
 話はそれますが――、戎町年寄りの口伝では、ちょうさ誕生のさい、試作機として何台か作り、他所の町に配ったとかなんとか。
 そして、桜町年寄りの一部共通認識としても、「西からもろたが、元は”たんにゃ”のもんじゃ」という声を何度か聞いたことがあります。

 年寄りの言うことなど、たいてい記憶違いかボケていることが多いのですが(←問題発言)、違う角度から同じような証言がふと出てきた時は、本当くさい気もします。
 
 だとするならば、戎町と桜町も姉妹関係にあるのかもしれず、調べるほどわからなくもなってきましたが、なんだか面白くなってきたぞ!どういうことじゃ〜( ;∀;)

 

 

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 そんなこんな桜町は、来年一番太鼓ということで、いろいろと調べてみたいと思います。
 
 ほな、また!

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2016/11/03 リリース   admin