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2016年11月

LEDがあるときないとき

 秋祭りが終わって、はや一ヶ月が過ぎましたね。
 あらかた、写真などはアップロードしたつもりだったのですが、忘れていたのでこれも書いとこφ(..)
 

 今年、各町のちょうさを見ていて気づいたのは、ライトアップ合戦になっていること。そのため、例年よりも宵宮の夕暮れは明るい感じがしてはっきりくっきり見えました。

 本来、何もつけていなかったちょうさに提灯が灯され、中村町がLEDで照らし始めたのが影響していったものと思われます。個人的に、中村町の天幕がピカピカするのがお気に入りだったのですが・・・。

 

 ともあれ、今年は「彫刻が見えんようになる!」と頑なに光源の確保をしなかった戎町が、ついにLEDデビューとなりましたー!

 もともと、ランタンを高欄内側四隅に置いて、申し訳程度には照らしていましたが、どうもほの暗く、夕闇の戎町は撮影には不向きでありました。

 

 

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こんな感じ。

 

 

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ところが今年は、こんなに明るーい!

 

 

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LEDがあるとき〜(^o^) ないとき〜(T_T)

 

 

 という具合で、今年の戎町は明るいという話題であります。

 

 

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 よく見ていただくとお気づきのことと思われますが、ライトの色が戎町カラーの柿色

 他所町は、ライトこそ当てていますが、標準の白っぽい光源であります。一方、戎町はフィルムを貼って、柿色の光にしているのがちょっとしたこだわり(*´∀`*)

 

 

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 来年からは、UOのサイリウムで太鼓叩いたら、もう何が何だかワケワカメ(汗)

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2016/11/13   admin

差し上げの掛け声は何がいいか?

 先日、日和佐八幡神社のFacebookに、祭りの掛け声について書かれていました。


 それには、差し上げを意味する「サーセー サーセー」が、近年は「ヤーレー サーセー」になっているのはけしからんとのことで、町外の人に間違って伝わっているのではないかと危惧されていました。

 

 

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資料:戎町の掛け声
 

 


 確かに説明もなくやっていますから、なんだかよくわからずに見物している人が大半であります。
 祭りに参加した大学生の論文にも、けっこう的はずれなことが書かれていますし、そもそも、“敬意を表する差し上げ”がだんじり文化圏の観光客には“威嚇”と見られている向きもあります。
 
 順番待ちちょうさの休憩と芸能(わざおぎ)の時間も、知らない人には遊んでいると見られ、そこへ差し上げに行くちょうさは、おちょくりに行っている、などという解釈を年寄りのカメコの立ち話から聞いたこともあります。
 
 つまり、なーんにもわからずに見られているのが全町を追っかけている身としての感想なわけですΣ(・∀・;)
 


 さておき、けしからん「ヤーレー サーセー」について。
 これは、おそらく、叩き始めの「ヤーレン ヤーレン イッサンジャイ」の「ヤ」という音に引きずられる形で、「ヤーレー サーセー」になったものだと想像しております。
 ヘブライ語で解釈すると、「喜び歌い勇んで行く」と、ちゃんと意味が通じていますね。
 
 昔話を書きますと、これを書いている人が子供の頃、確かに皆、「サーセー サーセー」と言っていました。
 ところが、東町のみ「ヤーレー サーセー」だったという記憶もあって、当時は、各々町の特徴なのだと気にもとめておりません。
 今になって考えてみると、一番元気がありイケイケドンドンなムードメーカー的な漁師町として、「もっとやれ!やれ!」という勢いが「サ」を「ヤ」に変えてしまったのかも^^;
 
 話を戻し、なぜヘブライ語なのかといえば、イザヤの預言に従い「東の海の島」を目指したイスラエル人がアジアから日本列島目指し口ずさんだものがソーラン節として残り、開拓地から民謡として、音頭として、広まり掛け声として組み込まれていったのではないかと。
 
 叩き終わりの「エンエンエン」や「エンエンヤー」というのも、日本語としては通じません。
 ただ、終着するというような意味なので、日和佐では太鼓を置きますという雰囲気なのでありましょう。
 
 こんなことを書くと、日本はキリスト教の国だったとか適当なことを言う人が必ず出てくるわけですが、そもそも、日本は文明の終着地であり、南アフリカから出発した一番ガッツのある人々が作り上げた奇跡の国なのであって、世界各国の発想が入っていても全く不思議ではありません。
 もとい、他所の掛け声と比較し、調べるにあたっても、結果、日本語として通じず納得の行くものがなく、田中美知太郎のいう「言葉は過去からやってくる」という前提と日本の成り立ちに従った方がしっくりくるような気もします。
 
 また、「チョーサ」とて、元は大阪系の掛け声だと云われていますが、「チョウサ」=「喜んで行進する」という意味合いなので、これもそんな感じであると思います。かといって、日本の掛け声を今のイスラエル人に聞かせたところで、なんのこっちゃなことでしょう(・・?
 
 伝統は受け継いだものを意識したところに生まれるといいます。他方、言葉とは時代とともに変形していくもので、無意識のうちに受け継いでいくものでもあります。そして、いまここにしかない伝統から必要なことを思い起こすという作業の繰り返しが、継承と呼べるモノでしょう。
 
 つまるところ、差し上げを「サーセー サーセー」と叫ぶのは作法として正しいことなのかもしれませんが、言葉を生き物として見ると、別に「ヤーレー サーセー」でも、矯正するしないは別として、どちらでもええじゃないかというのが、このブログの見解であります☆彡
 なにせ、掛け声や叩き方も、昔と比べて相当変わっているらしいですし・・・。
 
 次世代に残していくのであれば、各町が示し合わせて統一の掛け声を文字に起こしつつ、各々好きに色を出していく、という継承はどうですかねφ(..)

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2016/11/05 ちょうさのこと   admin

マンガ公開しました(第17回)

 マンガ公開しました〜。

 

 他所町見習い七十年。一番気張るぞ!いざ行かん!

 

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 さて、始まりました恒例の祭りのレポと意気込み。今回は、西新町の妹・桜町のお話。
 
 昭和21年に祭りに参加して、今年で七十年になりました。←屋台自体は古いですが・・・。
 いや〜、めでたいめでたい。

 

 

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 昨年、太鼓を新調し、今年は高欄(こうらん)も新調しました。
 古い本体と後から底上げした布団台、そして真新しい高欄の色合いが違い、古いのか新しいのかわからない見栄えですな(゚∀゚)
 
 中村町や奥河町の記録によると、桜町は、輪番の最後だった本町の後に入る形で、現在の運行表ができました。

 

 

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 それまでは、参入順(戎濱のみ最後)や浦三町(戎町・東町・中村町)が取り仕切る形でやっていましたが、※東町コースアウトによる西新町との大乱闘事件があり、その反省から、いろいろとルールが決められ、今のような祭りになったと云われておりますね^^;
 
 たぶん、大浜海岸に御旅所を置くようになり、海にも入るようになったきっかけが、この二町のトラブルにあったといえるでしょう(汗)(※後日、マンガにでもします)
 
 さておき、桜町初参加の日は、あいにくの台風という残念すぎるデビューをかざります。
 
 参加当時は、他町を見習い、追いつけ追い越せで習得したものを愚直に守ってやってきました。
 桜町の注目すべきところは、この愚直さであり、他所町が人口減少によりやむなくルールを変更せざるをえない中、人口の多い桜町は、昔ながらの運営を保ち続けてきたわけです。
 
 運営の規約にはじまり、掛け声や、少なくとも七十年前の叩き方など、新参者なのに懐かしい感じがするのは、米国人の豆腐屋のように、わからないから崩さないというスタンスが脈々と引き継がれ、桜町のスタイルになってきている気がします。
 
 話はそれますが――、戎町年寄りの口伝では、ちょうさ誕生のさい、試作機として何台か作り、他所の町に配ったとかなんとか。
 そして、桜町年寄りの一部共通認識としても、「西からもろたが、元は”たんにゃ”のもんじゃ」という声を何度か聞いたことがあります。

 年寄りの言うことなど、たいてい記憶違いかボケていることが多いのですが(←問題発言)、違う角度から同じような証言がふと出てきた時は、本当くさい気もします。
 
 だとするならば、戎町と桜町も姉妹関係にあるのかもしれず、調べるほどわからなくもなってきましたが、なんだか面白くなってきたぞ!どういうことじゃ〜( ;∀;)

 

 

sakura70_2.jpg

 


 そんなこんな桜町は、来年一番太鼓ということで、いろいろと調べてみたいと思います。
 
 ほな、また!

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2016/11/03 リリース   admin