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マンガ公開しました(第21回)

 マンガ公開しました〜。

 

 平成最後の秋祭り、はっちゃけ皆の記憶に残そう!!

 

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平成三十年、祝・一番太鼓!中村町様。

 

本年は、平成最後となる秋祭り。例年とはまた違った心持ちで一番太鼓に臨まれることでしょう。謹んでお祝い申し上げますm(__)m

 

中村町一番太鼓の年は、個人的にもひとつの節目でありまして――、
いまから八年前、東京から徳島へ帰ってきて、二十年ぶりくらいに日和佐の秋祭りと再会しました。そのときの一番が中村町で、出発のお祝いの紙吹雪がいまでも鮮明に焼き付いております。

 

そのときスマホで撮った動画がコレ↓。手ブレがヒドイなw

 

あれから八年。縁あって、すっかり戎町の人間としてお祭りバカになってしまいましたが・・・。
やはり、日和佐の秋祭りとの再会の思い出は、中村町であったと言えます。
あの独特の中村の太鼓をきいていると、忘れていた膨大な情報が瞬時によみがえってきたりしました。

 

この間も、目まぐるしく世の中は移ろってきました。相変わらず世界は混沌としているし、テクノロジーは電気に集約されていくし、災害は多い。
日和佐もかなり衰退しました。年寄り多し子供少し、まだしも、道を歩いて人っ子一人とすれ違わなくなった、そんな八年。

 

歳をとらねば死んでしまうわけですが・・・、しかし、今も昔も、ちょうさは変わりなく、時代だけが付いていく。
伝統とは、立ち止まって振り返り、「あれはなんだったか・・・?」と思い返すところに生まれます。
絶頂の時代や、忘れてしまいたい悪い時代もあったでしょう。
それを日和佐の秋祭りに問うてみれば、日和佐的にはどうであったか?と、バランス感覚のなんたるかを示唆してくれるのが伝統であり、ルールなきものを繋げることが、今年の主題でもある「継承」ということになるのでしょう。

 

ちょうさの歴史の八年など、どうということもないでしょうが、この八年間を振り返り、自分自身、日和佐の伝統に寄与できたであろうかと、平成最後の節目に耽ってみたり(汗)

 

ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる船、人の齢い。春、夏、秋、冬――。
平成は三十一年もあるわけですが、秋祭りがあるのは今年だけ!新しい元号になっても、変わりなく、連綿と続くことを願って弥栄。

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2018/09/28 リリース   admin

マンガ公開しました(第20回)

 マンガ公開しました〜。

 

 平成も残る一年弱、これまでと、これからが楽しみだ!

 

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平成三十年、五月十三日。
日和佐八幡神社・創始七百年、おめでとうございます。

生まれてかれこれ三十数年、氏神は変われども、日和佐の八幡さんには産土のカミ様として長らく面倒を見ていただき、なんとか人並み生きていける頃合いになりました。

人は生まれ落ちる場所によって運命が決まるといいますが、なるほど、住む場所によって、人生はさまざまな反応を起こします。
昔のように、自分の家で生まれることもなくなり、あっちの病院こっちの病院、やれ進学だ就職だ転勤だ。親兄弟とて、人生の反応が分かれます。
それは、産土のカミ様と氏神様の組み合わせによるものといってもいいでしょう。

かくいう筆者とて、えべっさんの管轄で生まれ、日和佐の八幡さんでお宮参りし、氏神を点々とした人生を歩んできました。現在は、塩爺が氏神様であります。

そんなこんなでも、一生ご面倒をかけているのが日和佐の八幡さんでありまして、これまでもこれからも、お世話になっていくことでしょう。

地域の中間共同体とは、コミュニティが安定することであり、安定とはすなわち定住すること。
日経ビジネスかなんかで読みましたが、都会から人がやってきて、地域に溶け込み定住していく仕組みが、日和佐にはあり、それが祭りであり、祭りを通して八幡神社の崇敬に繋がる。

誠に不敬な話、子供の頃。
昭和が終わって平成への年。楽しみだった祭りがなく、絶望的な気分になったのを覚えております。毎日がつまらなくて、退屈で、なぜ祭り一つのことでここまで不貞腐れるのかと。

答えは簡単で、祭りを通してコミュニティを感じとれなかったから。

平成も終わろうとしている端境期に思うことは、譲位によって祭りが近い将来自粛にならないということ。お祭りバカにしかわからない事かもしれませんが、これがいかに地域を支え地続きで国柄になっていっているか、今上天皇の大きさには畏怖の念さえおぼえます。

日和佐八幡神社・創始七百年祭にあたり、いろいろと調べてみましたが、結局のところ、断定できる資料と報告はありません。ありませんが、およその真実と比定に脚色しまして、お祝いのいちページをウェブながら奉納したいと思います。

ずいぶんかしこまりましたが、死ぬまでどうぞヨロシクよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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2018/05/10 リリース   admin

マンガ公開しました(第19回)

 マンガ公開しました〜。

 

 来年は平成最後の秋祭り!各々気張ってやらかそう!

 

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 遅くなりましたが、平成29年の秋祭り事後マンガ公開です。

 

 平成31年に今上天皇譲位ということで、来年は平成最後の秋祭りになりますね!

 折しも日和佐八幡神社700年祭も執り行われるということで、いろいろと特別な年になりそうです。

 

 早い・キレイ・お練りキッチリ!な中村町さん、来年は一番太鼓頑張ってください~。

 

 うるふ様特別編は、また今度ということで!Σヽ(`д´;)ノ うおおおお!

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2017/12/17 リリース   admin

マンガ公開しました(第18回)

 マンガ公開しました〜。

 

 やりたいことが多すぎて、わくどき全然とまらない!

 

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 約一年ぶりの更新になりましたが・・・、今回は、今年で70周年で一番太鼓・桜町のお話し。

 え? 70周年は去年祝ったやーん!? というツッコミがあると思いますので先に補足しておきますm(__)m

 

 これは、太鼓をもらって一応、仲間入りした昭和21年と、ふとん太鼓に大改修して正式に参加した昭和22年のどちらを起点にするかといった誤差のようなものなので、あまり細かく言わないでね☆彡

 なにせこれは、いまから20年前、50周年の際にも起点の認識によって意図とは裏腹、一年間違ってお祝いしてしまったというエピソードもあるようです(汗)

 

 当サイトの考え方は、屋台の本来ではなく、節目としての年表を優先しておりますので、「桜町太鼓規約」ができ、本格参戦した昭和22年を起点に描いております。それに平成29年は一番太鼓だし、めでたさのダブルパンチや~的な感じで許されますよね?

 

 真面目な話、寺込100周年とて本当はもっと古いはずですが、日和佐に来てからのものですし、戎町222年というのも多分誤差があるでしょう。

 桜町の大本(西新町)とて、享和4年(1804)ではなく、戎町のプロトタイプ説があるので、確実性というのは誰にも知れぬことなのです。

 

 そんなこんなで、70年一番太鼓、おめでとうございます~ヽ(゚∀゚)ノ ☆

 気張れよ。

 

 


 

 あと、桜町とは関係ないのですが、祭り前なのでついでに指摘しておきますと、リニューアルした日和佐八幡神社のHPの「ちょうさについて」。

 ここのちょうさに対する説明書きに、地方ごとの特色も説明されているのはいいのですが、

 

日和佐地区では「ちょうさ」と呼び、
儒者張子公の功績を称えたことからはじまるという。

 

 と断定されているのですね(  Д ) ゚ ゚

 これ、とっても違和感。まして、日和佐のふとん太鼓は、堺直輸入なので、讃岐系の影響はもとより、“ちょうさん”を祝う理由などどこにもないわけです。

 そのため、大阪系の日和佐のちょうさは、掛け声からくるものであるのが有力であるぞとお祭り前に指摘したいと思います。

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2017/09/25 リリース   admin

マンガ公開しました(第17回)

 マンガ公開しました〜。

 

 他所町見習い七十年。一番気張るぞ!いざ行かん!

 

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 さて、始まりました恒例の祭りのレポと意気込み。今回は、西新町の妹・桜町のお話。
 
 昭和21年に祭りに参加して、今年で七十年になりました。←屋台自体は古いですが・・・。
 いや〜、めでたいめでたい。

 

 

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 昨年、太鼓を新調し、今年は高欄(こうらん)も新調しました。
 古い本体と後から底上げした布団台、そして真新しい高欄の色合いが違い、古いのか新しいのかわからない見栄えですな(゚∀゚)
 
 中村町や奥河町の記録によると、桜町は、輪番の最後だった本町の後に入る形で、現在の運行表ができました。

 

 

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 それまでは、参入順(戎濱のみ最後)や浦三町(戎町・東町・中村町)が取り仕切る形でやっていましたが、※東町コースアウトによる西新町との大乱闘事件があり、その反省から、いろいろとルールが決められ、今のような祭りになったと云われておりますね^^;
 
 たぶん、大浜海岸に御旅所を置くようになり、海にも入るようになったきっかけが、この二町のトラブルにあったといえるでしょう(汗)(※後日、マンガにでもします)
 
 さておき、桜町初参加の日は、あいにくの台風という残念すぎるデビューをかざります。
 
 参加当時は、他町を見習い、追いつけ追い越せで習得したものを愚直に守ってやってきました。
 桜町の注目すべきところは、この愚直さであり、他所町が人口減少によりやむなくルールを変更せざるをえない中、人口の多い桜町は、昔ながらの運営を保ち続けてきたわけです。
 
 運営の規約にはじまり、掛け声や、少なくとも七十年前の叩き方など、新参者なのに懐かしい感じがするのは、米国人の豆腐屋のように、わからないから崩さないというスタンスが脈々と引き継がれ、桜町のスタイルになってきている気がします。
 
 話はそれますが――、戎町年寄りの口伝では、ちょうさ誕生のさい、試作機として何台か作り、他所の町に配ったとかなんとか。
 そして、桜町年寄りの一部共通認識としても、「西からもろたが、元は”たんにゃ”のもんじゃ」という声を何度か聞いたことがあります。

 年寄りの言うことなど、たいてい記憶違いかボケていることが多いのですが(←問題発言)、違う角度から同じような証言がふと出てきた時は、本当くさい気もします。
 
 だとするならば、戎町と桜町も姉妹関係にあるのかもしれず、調べるほどわからなくもなってきましたが、なんだか面白くなってきたぞ!どういうことじゃ〜( ;∀;)

 

 

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 そんなこんな桜町は、来年一番太鼓ということで、いろいろと調べてみたいと思います。
 
 ほな、また!

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2016/11/03 リリース   admin

マンガ公開しました(第16回)

 マンガ公開しました〜。

 

 来る一番! 手本か? 見本か? 町の縮図にご注目!?

 

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 今回は、自称・日和佐のオピニオンリーダー? 本町のお話し。

 

 国道55号線や桜町商店街ができる前、旧街道が通っていた頃は、本町は、まさに日和佐のメインストリートで、さぞや豊かであったことでしょう。
 豊か故に、「ちょうさくらい運営できるわぁ〜」といったノリで人員そっちのけで参戦してしまったがゆえ、金はあるが人がいないという状態でやってきました。

 

 まだ日和佐の人口が1万人ほどいたときでさえ、過去に「据え太鼓」を経験した本当に人の少ない町です。
 軒数にして27(゚д゚)!

 住民票は名目ですから、実質の日和佐地区の人口が2500人くらい・・・。

 そのため、あれやこれやと工夫工面して、祭りに参加してきた苦労人。

 

 東町や中村町が何か新しいことをやると、他の町がマネしだすのと同じように、本町の動向もまた、日和佐の祭りの指針を見る上で重要な事柄の一つなわけです。

 

 そんな本町は、今年、一番太鼓。16年前に作った一番法被を羽織り、原点回帰を目指します。

 お手伝いに入られる各町の皆々様、どうぞよろしくはっちゃけおたの申し上げます〜(・∀・)

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2016/09/11 リリース   admin

マンガ公開しました(第15回)

 マンガ公開しました〜。

 

 東に関船!? いま何処? 次回も新キャラ登場か!?

 

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 前々から、ずっと描きたかった、昔懐かし日和佐のお祭りに関するお話し。

 みんな、覚えているかな〜? 

 

 今回は、東町の関船(せきぶね)が登場。

 資料があまりないので、年寄りから聞いた話を参考に、まあこんな感じのキャラであろうと誕生しました(汗)

 

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写真:日和佐八幡神社

 

 ざっと見るかぎり、仮装化粧をした子供を乗せ、宝船のような出で立ち。

 周囲の大人たちも陽気で、暴れ狂っていたちょうさとは対照的な町廻りであるかのよう。ちょうさには、カミ様は乗ったりしませんから、化粧をした子供を船に乗せることによって<よりまし>的な役割と、祭りに本格参加できない子供の「子供神輿」的な役割があったのかも。

 

 しかし、さすが漁師町系ということで、狭い日和佐の路地をガタガタと曳いていたという話から察するところ、この町には、担ぐか曳くかの差異しかなかったようですΣ(・∀・;)

 

 ただ、屋台に乗せる子供とは、どうあるべきか? という原型は、少なからず見えましょう。

 子供に化粧をさせるということは、非日常空間にいるカミ様の代理人ということで、日常生活に「お祭り騒ぎ」を持ち込まないための一種のケジメだし、カミ様や氏子を楽しませる俳優(わざおぎ)の役目も担っていると思います。

 ちょうさがお入りのさい、順番待ちで太鼓に合わせて氏子が踊ったり騒いだりするのだって、知らず知らずのうちに俳優(わざおぎ)をしているわけです。

 

 一方で、ちょうさに乗り込む子供は、飴屋というよりは願人(がんじ)に近い役割で、投げ頭巾を被るのが一般的。

 願人(がんじ)とは、祈祷する人、カミ様と交信する人といったところでしょうか。

 この頭巾、日和佐では烏帽子(えぼし)と認識され、子供の正装だと思われており、「長崎くんち」の頭巾も日和佐の漁船団の影響である、という説が流布しております。

 

 ただ、調べていくと、どうしても起源は大阪にあり、日和佐のちょうさは、天神祭の運行と似ていることがわかります。

 スタイルは若干違いますけれど、投げ頭巾を被った願人(がんじ)がカミとの交信の動力源となり、采頭(ざいがしら)を筆頭に采方(ざいかた)たちが舁ぎ方(かつぎかた)に進行方向を指示します。

 

 日和佐はもっぱら、引退した宿老と呼ばれる年寄りがちょうさの前を歩いているのみ。これが悪いわけではありませんが、代わりに、拍子木が願人=打子に支持し、その音によって担ぎ手が動き、結果的に宿老が交通整理のようなことをする、すると人を気にせず拍子木は打子に・・・と、こういうループの出来上がりです。

 

 拍子木の良し悪しは、上手いかどうかではなく、「よく聞こえるかどうかである」とベテランの方に聞いたことがあります。確かに若い拍子木は、居ても立ってもいられず、怒鳴ったり担棒に触りにいったりと、ちょうさがふらふらと安定しなかったりしますが、上手い人は黙々と叩いている。

 昔の日和佐の秋祭りには、ちょうさのかき比べなるものがあったそうで、おそらく、どれだけキレイに長時間お練りしていられるかというのも、町の威厳に深く関わっていたのだと思います。

 

 ずいぶん脱線しましたけれど、今はなき関船から見えてくる、昔のスタイルと思想というものは、もう少し調べてみたいところでもあります。

 東町関係者の方で、関船に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただけると、幸いですm(__)m

 

 それでは、次回へつづく!

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2016/07/25 リリース   admin

マンガ公開しました(第14回)

 マンガ公開しました〜。

 

 これぞ正統?赤布団!!根も葉もないが標準ぞ

 

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 今回は、日和佐では唯一の赤い布団の奥河町のお話し。

 

 関西地方の方が日和佐の祭り見物にこられて、一番親近感をおぼえるのは、奥河町のちょうさではないでしょうか\(^o^)/

 今回のテーマでは、なぜ、全国のふとん太鼓の大半は、赤が多いのかを論じておりますが、諸説の一例なので、あまり真に受けなくても結構です。

 

 ただ、ふとん太鼓は宇宙を表し、ルーツはペルシャだイランだのと説いている専門家よりは、日本的な発想でアプローチしたいと思います(・∀・)

 

 そもそもなことをいえば、文明の終着地に住む日本人の中には、大昔から陰陽五行説に由来する対比と色彩感覚が流れておりますので、紅白という配色が好んで使われているのは、ごくごく自然なことのように思います。

 

 なんだかよくわかりませんが、紅白色のものを見ると、おめでたい気分になるのだから、これぞ日本人のコモンセンスでありましょう。
 だから、米が穫れたら、豊作を祝って、日本的な感覚で飾り、奉納していたのだとすると、それがふとん太鼓に繋がっても、なんら違和感を感じないのであります。

 

 紅白のふとん太鼓は、瀬戸内海沿いの漁師町によくみられますが、それだって、日本的な色彩感覚により、白と赤を使っているにすぎないのかもしれず、そこへ財力とか美意識が混ざり込み、実際は、たいした意味など存在しないのではないかと、フィールドワークでの聞き取りからも実感するところであります。

 

 なにせ、その地域の文化的感覚によって組まれ、飾られていくわけで、例えば香川のふとん太鼓など、巨大でキラキラしている。

 すると、お隣の徳島など、“小さなショボい太鼓”であるとの烙印を押されがちですが、徳島からすると、雨乞いの道具でもあるふとん太鼓を必要以上に大きくし、デカデカと龍の刺繍を布団締めに縫い付ける香川は、よほど水に困っているのではないかと、そういう風にも見えるわけです。

 

 日和佐・戎濱が昔にやらかした“”にせよ、陰陽五行を持ち出せば、ちゃんと意味があるわけで、色の良し悪しは土着で培われた文化的感覚が決めていくのだと思います。ゆえに後、文化的違和感に茶々が飛び、スタンダールも驚きの「赤と黒」の布団に戻るわけです(汗

 

 真実は少数派に宿る、とはいうものの――、
 圧倒的に赤のふとん太鼓が多いのは事実ですので、これぞ“百一匹目のサル現象”的デファクトスタンダードであると結論づけ、マンガの解説にしたいと思います。

 

 おわり。

 

↓↓余談↓↓


 ちょうさ保存会向けに進言申し上げるならば、祭りの訴求として、奥河町のちょうさを全面に打ち出すと、他所の地域の人は親近感をもって見てくれるでしょうし、世にも珍しい白い布団の西新町や桜町も赤い地域への希少性を訴えることができるかもしれません。

 

 イチオシは、全国ホウボウ見渡して、一例も見たことがない、本町の白黒のちょうさも、レアな意味で訴求力はあるかも・・・。

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2016/03/06 リリース   admin

マンガ公開しました(第13回)

 マンガ公開しました〜。

 

 忘れ去られた金法被…。来年、復活?皆で担ごう!

 

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 今年の西新町は、一番太鼓ということで、片方の日章旗を「西」という文字にしたり、出発を紙吹雪で祝ったりとサプライズを演出しましたね!

 今回は、そんなこんな西新町と、来年一番の本町のお話し。

 

 劇中にも描きましたが、日和佐の問題点の縮図のような本町は、オピニオンリーダーだと主張しております(笑

 

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 確かに、27軒の氏子のみでやりくりするのは、想像を絶するほど大変なことでありましょう。
 町廻りにいち早く車輪を取り付けたり、35歳を過ぎても若連中、打子に女の子を乗せたりと、ときに批判にさらされながらも、時代とともにルールを変えて、いままで、運営してきました。

 

 時代の流れに敏感で新しいことを取り入れるのが中村町とするならば、状況を読み、伝統と現実に葛藤しながら、公的に答えを出してきたのが「本町」という町であるのかもしれません。

 

 伝統とは、受け継いだものを意識したところに生まれます。そこで、来年からは、一番太鼓の総責任者のみが着ることができるこの「金法被」の復活が、原点回帰へ繋がる反動の嚆矢にしたいと意気込んでいるわけです。

 

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後ろ

 

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 かれこれ、十五年ほど前――、総責任者がひと目でわかるようにしようと話し合われ、出来上がったのが、この金法被。

 当時一番だった本町が着て、一時、話題になりましたが、翌年の桜町が着なかったことで他の町も続き、あげく、本町すらも忘れてしまい、今に至るというわけです(´・ω・`)

 

 他所の祭りなどを見ていると、やはり、役割や階級ごとに法被が分けられていて、責任者が着る法被とは、誰でも着られるものではないので、とても名誉なこととして受けとめられているわけです。

 

 以前のブログにも記しましたが、かつての日和佐にも(法被の種類は定かではありませんが)階級や役割があって、与えられた役割に命をかけ、しばしば、役割の奪い合いのイザコザも絶えなかったと聞いております。

 

 少し辛口なことを書きますと、本町の年寄りなどは、現状の担ぎ手(国際色豊かなビギナーの観光資源)を見て、情けない・・・と涙目に据太鼓を希望する声も少なくはなく、難しい問題であると実感します。

 

 そんなこんな本町を、これから1年取り上げて、応援していきたいと思っておりますので、本町出身者や同盟関係にある他所町の皆々様は、ぜひとも応援( `・∀・´)ノヨロシク

 


 それでは最後に、本町の唄(嘘)で〆ましょう〜。
 (※まいっちんぐマチコ先生のメロディで)

 

いつも担ぎ手が不足〜♪ ウィンブルドン〜♪

打子もレンタル〜♪ 私はマチ子〜♪

イエイイエイ〜♪ イエイイエイ〜♪


 ご静聴ありがとうございましたー。

 

 

 

 滑稽味のなかには哀しみの感情がなければならない by チェスタートン

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2015/11/01 リリース   admin

マンガ公開しました(第12回)

 マンガ公開しました〜。

 

 黒檀、重いよ!動く仏壇?今年も頼むよ桜町!

 

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 今回は、一番太鼓の西新町ちょうさ220周年の戎町のお話し。

 双方、特別な年にどちらが重いかの対決。はてさて、結果はいかに?

 

 一二を争う最も重い町と評される、戎町と西新町は、そもそも重さの成り立ちが異なります。

 戎町が、素材をはじめ彫物や装飾にこだわった結果、重たいものになってしまったのとは裏腹、西新町は、暴れ対策として「重いものを作ろう」という発想から出発しました。

 

 それはもう、技術を積み重ねて出来上がったマイクロソフトと、こんなのがいいなと作りこんだらできていたアップルとの違いといいましょうか。

 

 いわば、重たいけれどあれがいい、これがいいと組み上げた帰納法的な戎町と、

 重たくするには、こうしよう、ああしようと組み上げた演繹法的な西新町といった具合でしょうか。

 

 軽量化と大型化が図られ、箱物と化しつつある布団太鼓において、組み上げる思想的背景を観察するのは、とても興味深いことであります。

 

 ちなみに、今回はポロリシーンに目隠しを入れておりませんが、日本人の感覚では、TPOによって羞恥心の感覚を変えることができますし、そもそも乳は性器でもないので、隠す必要はないですよね?

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2015/09/11 リリース   admin