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若連中の階級について

 戦後70年のおり、「ナチ」などという言葉を書くと、左巻きの人たちは、アレルギー反応をおこして発狂していることと思いますが、暑中いかがお過ごしでしょうか(^o^)
 けれども、本来のナチとは、「nation(民族)」の語源たる「ナツィオ=生誕の地」であり、原点に帰ることを指します。

 

 ともなって革命という言葉も、本来あるべき状態がおかしくなったときに起こる現象のことをいいまして、ナチと革命というものは、コミュニティーの死守を意味するものだと思います。
 これを本当は、「保守」と呼ばなければいけないのですが、分割統治されたままの我が国においては、左右どちらに転べども左巻きといった感じで、現政権も“戦後レジームの完成”を成し遂げてしまいましたね(汗

 

 前置きはさておき、当ブログの「勝手に擬人化」も3年目を迎え、多方面から閲覧いただいていることに感謝感激!真姫ちゃんすごいな!さしすせそ!(爆)な感じでありますが――、
 ナチから見える原点とは何か?を日和佐の祭りに当てはめて、少し考えてみたいと思います。

 

 今回は、ちょうさを運行する上での組織の「階級」に注目してみましょう。

 階級などと書くと、またもや左巻きの人が不平等だと騒ぎそうですが、そういう時は、天皇を認めたらみんな平等という一君万民をおぼえましょう!

(女性が参加できないことに銃後という言葉が頭をよぎる変な人もいらっしゃるようなので、はなはだワロタwww)

 

 現在では、太鼓を叩く「打子」、担ぎ手の「若連中」、監督先導約の「宿老」と呼ばれる分類が一般的です。
 ところが、ほんの数十年前には、「若連中」の中にも階級が存在していたそうで、今のように人手不足による役割の自動割り当てというものがなかったことがうかがえます。
 都会の人は、しばしば「役割があることが嬉しい」と言って田舎を喜んだりしますが、本来、役割とは進んで勝ち取るものなので、田舎の競争率の低さは、悪ガキののほほんとした顔つきを見ても明らかでしょう( ゚д゚)

 

 ざっくりと分けると、打ち子を終えた前髪(まえがみ)と呼ばれる成人前の使いっ走りに、成人したぺえぺえの大人である左義長(さぎっちょう)、その上に、現場を取り仕切る若連中(わかれんちゅう)という位があったのだそう。いまでは、これらを総称して若連中ということにしています。

 

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 前髪とは、前髪だけ残した毛の生えそろっていないような元服前の少年のことを言います。
 左義長の語源は定かではありませんが、全国の「左義長祭り」などでは元服が参加資格になっていたそうですが、ぺえぺえの大人もそういうふうに呼んでいたのではないかと推測。
 そして、若連中は、ひと通りを経験し、現場を取り仕切ることのできる大人のことをいいます。

 

 その他にも、その年の一番太鼓の総責任者である「総務」や、けが人や子供の安全を見張る「衛生」のような役割もあったと考えられます。
 本町などは、一番太鼓の年にだけ責任者が着る特別仕様の法被があるようですが、いまははてさて、どうでしょう??

 

 打子に至っても、バチさばきの達者な者しかちょうさに乗らせてもらえず、毎年何人もの子供が演奏から漏れ、練りゆくちょうさを羨望していました。
 いまでは交代要員(補欠)や子供神輿というガス抜きがあるため、不満は爆発しませんが、中には、腹いせに太鼓を壊しにくる子供もいたそうで、そういう子供たちの見張り役に、前髪(まえがみ)と呼ばれる下っ端が太鼓番を仰せつかります。

 

 ところがどっこい、担がせてもらえない前髪(まえがみ)も、腹いせに屋台を壊しにくるので、その上の左義長(さぎっちょう)が睨みをきかせ、その実、思う位置で担げない左義長(さぎっちょう)も不満をもったら、若連中がガツン!とやって教育、というループが存在していました。

 

 そういう、仲間内の好きすぎて憎い、腹いせの心理によって、しばしばちょうさは危機にさらされてきました(´・ω・`)
 これは、想像ですが、戎濱のちょうさが焼失したのも、そういう仲間内の腹いせに起因するものではないかと勘ぐってみたり(爆

 

 このような流れからわかるように、昨今の「大人が怖くない子供」は昔には存在しなくて、そうやって祭りを触媒にした中間共同体は、人や地域を互いに育ててきたのだと思います。
 福岡・祇園山笠の「流」という組織には、もっと細かな役職と階級が手ぬぐいの色で示されるように、その色によってその人物の人柄というものがひと目でわかるというもの。

 

 戦後教育の誤謬は、みんな一緒で平等!が画一としてまかり通り、言葉を含め、暴力は悪という発想が躾を奪い、祭りは楽しいだけのものになりました。
 本来は、中間共同体の中で上下関係や周囲と“うまくやる”という調和を学んで、ある程度の秩序のなかで平凡の素晴らしさを満喫していたことと思います。


 なにせ、秩序とは、平和(ピース)とは、パクス=平定のことでありますから、ふらっとやってきたキャラバン隊や歴史不在の都会者には、解りかねる感覚でしょうし、祭りが氏子だけのものでなくなっていることに原点とはなにか?を感じてみたりみなかったり。。。

 

 ゆえに、祭りのときくらいは、上下関係を明確にしてはどうか?と偉そうに提唱して、原点回帰としたいと思います。

 

 おわり。

2015/07/25 ちょうさのこと   admin