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彫刻を見てみよう(奥河町)

 しばらくサボっておりましたが――、

 日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第四弾。
 
 今回は、我が道を行く「奥河町」であります。

 

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 この町は、嘉永四年(1851年)の衣装箱が残っている(←見たことはない)だけで、おそらく、その頃に作られたのであろう、ということになっております。
 使われ方が雑だったようで、彫刻部分しか当時を残していないそうで、比較的新規参入組なのに傷んでいるな、という感想をもっていました。

 

 と・こ・ろ・が!年寄りの昔話では、奥河町のちょうさは、現在の輪番順が始まる以前には、お練は前の方で、集会でも比較的良い場所に陣取っていたとのこと。可愛らしい彫刻の雰囲気から察するところ、四番手くらいには祭りに参加していたのではないか?と推測したりしなかったり。

 

 写真はちゃんと撮れていないのですが、奥河町は全面・唐獅子牡丹であります。
 日和佐では珍しく「雲板」があるところも他の町とは違ったところであると思います。
 見上げると、本当に雲板に「雲」が彫られておりまして実に味わい深い形状であります。

 

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全面が唐獅子牡丹

 

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雲板には雲

 

 一見すると、実にあっさりした彫刻である、とファンからはささやかれております。

 しかし、以前にも書きましたが、込められたメッセージとしては法話的に言うと、「安心して身を寄せられる安住の地はどこにあるか?」ということ。

 

 唐獅子牡丹の意味するところは、めちゃめちゃ強くて怖いものなしの獅子でも、自分の体毛の中の虫だけには勝てない。しかし、牡丹から滴り落ちる夜露に濡れると虫は死んでしまうので、獅子は牡丹の下で寝るそうな。
 確かに、奥河町の木鼻は、ちゃんと牡丹の下に唐獅子が休んでおりまして、他の町の木鼻(唐獅子&獏)とは意味合いが違っているように思います。

 

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 ここ数年は綺麗になってきておりますが、大変失礼ながら、奥河町は、組立精度がちょっと甘くて、シワが寄ったり歪んでいたりは茶飯事。
 ゆえに、過去の時代、しめ縄をうっかり締め忘れてしまったのが伝わってしまい、現在のような形になっているのではないか?とその構造的な違和感と他の町との比較をもって見ていたわけであります。

 

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奥河町だけ鼓胴注連

 

 しかし、浅はかでしたm(__)m
 聖と俗を仕切るしめ縄を奥河町の木鼻に引っ掛けしまうと、牡丹と獅子を隔ててしまい、そこが安住の地ではなくなってしまうおそれがあります。
 だから、心のよりどころを守るために、あえてしめ縄を木鼻に引っ掛け巻かない方針なのか、前面のみ「鼓胴注連」になっていて、ほとんど社殿扱いであります。

 

 よく見ていただくと、木鼻の牡丹の上がスパッと水平になっていて、後から取ってつけたかのような感じに。丸桁(がぎょう)が妙に傷んでいたりするのは、組立のさい、二人がかりで布団に乗り込むからだと思っておりましたが、雲板部分を後から乗せたような作りなので、強度的に負荷がかかっているのも(´・ω・`)

 

 このように、奥河町のちょうさはデフォルトを良しとせず、たえず手を入れカスタマイズしてきた、アンチ・レディメイドな太鼓屋台といえ、近寄って見上げる、というちょうさを鑑賞する上での本来の視点を思い起こさせてくれるかのようです。

 

 布団太鼓のありきたりな写真は、正面からの勇壮さしか捉えられない傾向にあります。
 けれども、布団太鼓の勇壮さ、力強さ、妖艶さというのは、子供の視点に他ならず、練りゆくちょうさを見送り見上げる、そういった味わいを醸すのは、この赤一色の町特有の美徳であるのではないでしょうか。

 

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布団台の上に布シート!

2015/06/08 ちょうさのこと   admin