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彫刻を見てみよう(本町)

 日和佐八幡神社・秋祭りの太鼓屋台の彫刻を見て、あれやこれや言ってやろうという企画の第五弾。


 今回は、一風変わった「本町」であります。

 

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 何が変わっているかと言いますと、全国でも例のない冠婚葬祭ゼブラープリズン?な白黒の布団や、“願いのミックス”など、布団太鼓の前提をことごとく無視した作りに奥河町と同じ我が道を行く匂いが漂っております。

 

 本町は、天保九年(1838年)に作られた記録があるそうで、中村町のいっこ下。この町が作られた年代から、激動期独特の厳つさが彫物にも反映されているわけですが、本町は少しだけ愛嬌があるように思います。

 

 それでは詳しく見て行きましょう。

 

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まずは、正面。鷲。背景が波なのが珍しい。

 

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正面右側・東は、金鶏。西新町と同じです。

 

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正面左側・西は、鶴。めでたい感じです。

 

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そして背面・北は、亀と鯉。

 

 これは、本町最大の特徴といってよく、この組み合わせは、かなり珍しいものだと思います。

 

 海亀の町・日和佐だからなのか、江戸後期の庶民の長寿のシンボルとして亀なのか、「鯉の滝登り」で繁栄を願うものなのか、南房総に多く見られる彫物が一挙におがめるのは、おそらく、この本町の北側だけだと思います。

 

 古代史的にいえば、関東の住民のはじまりは、戦いに敗れて逃げていった人たちと、徳島人が千葉県に渡ったのがはじまりとされており、安房(あわ)という地名もそのことを暗に語っていると思います。

 

 南房総によくある彫物と、徳島県南の太鼓屋台の彫物がちょっと似ているというのは、歴史的に面白いことだと思います。

 

 ともあれ、この亀と鯉という組み合わせは、日和佐のちょうさの中でも唯一無二の彫物であり、他にも本町が他所町と違うところは、この二重の縁束(えんずか)部分でありましょう。

 

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 なぜ、このような形なのかというと、宵宮の町廻りで車輪を付けるさい、車輪用の脚として、このような形状になっているものと思われます。

 

 さすが、はじめて車輪を付け始めた前例として、先端を行っていますね!

 

 これが契機で、本町同様、人が少なく、かつ重たい西新町が車輪を付け始め、西がやるならと戎町も真似たら他の町も続いたというエピソードに繋がるわけです。

 

 これらについては、また後日、本町の解体新書と一緒に紹介したいと思います。


 来年、一番太鼓の本町。近くで鑑賞されるさいは、ぜひとも背面の亀と鯉をじっくりとご覧になってはいかがでしょうか(/・ω・)/

2015/11/14 ちょうさのこと   admin