今年の西新町は、一番太鼓ということで、片方の日章旗を「西」という文字にしたり、出発を紙吹雪で祝ったりとサプライズを演出しましたね!
今回は、そんなこんな西新町と、来年一番の本町のお話し。
劇中にも描きましたが、日和佐の問題点の縮図のような本町は、オピニオンリーダーだと主張しております(笑
確かに、27軒の氏子のみでやりくりするのは、想像を絶するほど大変なことでありましょう。
町廻りにいち早く車輪を取り付けたり、35歳を過ぎても若連中、打子に女の子を乗せたりと、ときに批判にさらされながらも、時代とともにルールを変えて、いままで、運営してきました。
時代の流れに敏感で新しいことを取り入れるのが中村町とするならば、状況を読み、伝統と現実に葛藤しながら、公的に答えを出してきたのが「本町」という町であるのかもしれません。
伝統とは、受け継いだものを意識したところに生まれます。そこで、来年からは、一番太鼓の総責任者のみが着ることができるこの「金法被」の復活が、原点回帰へ繋がる反動の嚆矢にしたいと意気込んでいるわけです。
後ろ
前
かれこれ、十五年ほど前――、総責任者がひと目でわかるようにしようと話し合われ、出来上がったのが、この金法被。
当時一番だった本町が着て、一時、話題になりましたが、翌年の桜町が着なかったことで他の町も続き、あげく、本町すらも忘れてしまい、今に至るというわけです(´・ω・`)
他所の祭りなどを見ていると、やはり、役割や階級ごとに法被が分けられていて、責任者が着る法被とは、誰でも着られるものではないので、とても名誉なこととして受けとめられているわけです。
以前のブログにも記しましたが、かつての日和佐にも(法被の種類は定かではありませんが)階級や役割があって、与えられた役割に命をかけ、しばしば、役割の奪い合いのイザコザも絶えなかったと聞いております。
少し辛口なことを書きますと、本町の年寄りなどは、現状の担ぎ手(国際色豊かなビギナーの観光資源)を見て、情けない・・・と涙目に据太鼓を希望する声も少なくはなく、難しい問題であると実感します。
そんなこんな本町を、これから1年取り上げて、応援していきたいと思っておりますので、本町出身者や同盟関係にある他所町の皆々様は、ぜひとも応援( `・∀・´)ノヨロシク
それでは最後に、本町の唄(嘘)で〆ましょう〜。
(※まいっちんぐマチコ先生のメロディで)
いつも担ぎ手が不足〜♪ ウィンブルドン〜♪
打子もレンタル〜♪ 私はマチ子〜♪
イエイイエイ〜♪ イエイイエイ〜♪
ご静聴ありがとうございましたー。
滑稽味のなかには哀しみの感情がなければならない by チェスタートン